「親父、替え玉」
「あいよ。替え玉一丁」
店内に響く、ずるずるという擬音。
「ん?お前はいいのか?」
ふと箸を止めて、こちらを見るアロハシャツの青年。
「結構です」
「遠慮すんなよ、
「してません」
素っ気無く答えると、あっそ。と彼は自分のラーメンに気を戻した。
残り少ない丼の中身に視線を落とし、思う。
─私は、何をしているのだろうか。





ミイラ取りが





「ふー、食った食った」
腹部を擦り、およそ容貌に似つかわしくない親父台詞を吐くアロハシャツの青年。
というか、そもそもアロハシャツが既に似つかわしくない。
いや、無性に似合ってはいるのだけど、何と言うかその。
「ランサーさん」
「んあ?─何だ、そりゃ?」
「見て解りませんか、硬貨です」
「いや、そりゃ解るけど。何してんの」
差し出した掌に乗せた¥590(税込)を、不思議そうな顔でしげしげと眺める青年。
「だから、私の分です。さっき、立て替えて頂いたでしょう」
答えると、彼は一瞬きょとんとし、それからひらひらと左手を振った。
「立て替えたんじゃなくて、オゴったの。女に出させるほど甲斐性なしじゃねえよ」
「フリーターに出させるほど困窮してません」
即座に切り返すと、言うねえ。と彼はいつものニヤリ笑いを浮かべた。
「なら、今日は俺のオゴリ。俺がオマエにオゴりたいからオゴった。これでどうだ?」
どうだ?と言われても。
ていうか『今日は』って何だ、まるで次があるような言い方…
─待て、駄目だ。この展開は駄目だ。
ここで折れたら、なし崩し的に次回を約束した事にされる。そんな気がする、経験上。
そもそもこの青年と食事をする気なんて、私にはさらさらなかったと言うのに。
これ以上乗せられたら駄目だ。ここは譲れない。譲ったら終わる、何かが。

「…と言っても、私にはお返し出来る機会がありませんし」
「あ?だからオゴリだって。返せなんて無粋な事は言わねえよ」
「お気持ちは有難いですが、生憎そういう訳にも行きませんので」
青年は覗き込むようにこちらの顔を見つめ、やがて、ああ。と手を打った。
「お前、アレだろ。貧乏性だな」
「余計なお世話です」
この青年に指摘されると、無性に腹が立つのはどういう訳か。
かろうじて抑え込み、努めて平静な声で返答した。
差し出したラーメン代¥590(税込)は、未だ受け取られる気配がない。
少し腕が疲れたな、と思っていると、青年の瞳が何かを思いついたように一つ瞬きをした。

「まあ、好意の押し付けは確かに良くねえな。つー訳で、だ。どうしても返したいっつーんなら、一つお願いしてもいいか?」

どちらにせよ、お金を受け取る気はないらしい。
まあ、こちらとしても、幾ら相手が相手とは言え、頑なに好意を無下にするのは人としてどうかとは思う。
思うので、ここはお互いの妥協点を探る事にして、¥590(税込)を財布に戻した。
「ええ、まあ、私に出来る事であれば」
次の瞬間、唇に彼の長い人差し指が触れた。

「ソレ、止めてくれねえか?」
「──?」
「敬語」

問い返したいが、唇が開けない。
いや、口を覆われている訳ではないのだから、開こうと思えば開くのだろうけど、その。
─ていうか、離してくれませんか。
私の心情に斟酌することなく、彼が言葉を続ける。
「何つーかさ。駄目なんだよ。背中がむず痒いっつーか」
だから、指をどけてくれませんかランサーさん。
「特にイイ女に敬語使われンのは駄目だ。虫唾が走る」
いつものように、世辞と軽口と嫌悪を混ぜて喋るアロハシャツの青年。
ああ、言い返したい。色々ツッコミどころ満載だし。でも喋れない。
─いい加減、このウツクシイ指をどけて下さいませんか槍兵さん。
仕方ないので、視線で訴えてみる。
「そう睨むなよ。そんなに無理な願い事じゃねえだろ?」
ようやく指を離し、微笑みとも苦笑ともつかない表情を浮かべる青年。
不覚にも一瞬見惚れてしまったが、仕方ない。
この青年、見た目は文句なしに掛け値なしの『イイ男』なのだし。
人によっては、今の表情だけでオトせてしまうのだろう。
私は溜め息を吐くと、一歩後退して距離を取った。

「─ではこの際なので、私も言わせて頂きますと」
「おう、何だ?」
「さほど親しくない相手に敬語を使わないのは、非常に抵抗があります」
きっぱりと拒絶するのは、正直あまり得意ではない。
が、口八丁の相手とあらば、致し方ない防衛手段。
何より、目の前の相手には再三『弄られ』という辛酸を舐めさせられているので、これくらいしても罰は当たらない。筈。多分。

やがて、青年の口から大きな溜め息が漏れた。
「─なるほどね。そういう事か」
「まあ、そういう事です」
「つまりは、親しくならなきゃ敬語をやめない、と」
「ええ」
ようやく理解したか、と安堵する。も、束の間。
「て事は、だ。要は親しくなりゃいいんだな」
「は──え?」
目の前には、不適に笑う彼の顔。
いつの間にか、顎を掴まれ上方を向かされていた。
─ええとあの、本当にいつの間に?
ていうか顔、近い近い─…!
「あ、の。離して下さい」
「ソイツは出来ねえ相談だ」
「顔近いんですけど」
「親しくなりゃ、敬語やめるんだろ?」
「それは、まあ…」
「じゃ、親しくなろーぜ」
気付けば距離は更に縮まっていて、彼の吐息が顔にかかる。
「え、と。何するつもりですかランサーさん」
「何ってオマエ。男と女が親しくなるつって、他に何かあるか?」
囁くような声。熱い息が唇にかかる。
─って。ちょっと何でいつの間にかこんなに近…

「─っ解った解りました!解ったから離して下さい!」
「ん?何が解ったって?」
「敬語やめるから離してって言ってるの!!」
叫ぶように言い放ってから、ここが往来である事を思い出す。
厚い胸板をぐいと押し遣ると、意外にも青年はあっさりと身を引いた。
「そっかそっか。いやー良かった、解って貰えて」
上機嫌で私の肩を叩くアロハシャツの青年。
─ええと、これはもしかしなくても。

「─嵌めましたね…?」
「あれ?敬語。やめるって言わなかったっけ、?」
「はーなーしーて!嵌めたわねラ、ランサー!?」
腰に回された手をぴしゃりと叩く。
言った事を覆すのは信条に反するので、致し方なく呼び捨てると、彼は満足げに目を細めた。
にしても、何だってこんなに素早いのかこのスケベ槍兵は。
そういえば士郎くんが、敏捷Aがどうとか言ってたような気がする。
気がするけれど、今重要なのはここが天下の往来であるという事実の方で。
「嵌めたなんて人聞きの悪い。続きをご所望なら、喜んでお応えするぜ?」
「街中で何考えてんの!とにかく離してってば!」
「何だよ、恥ずかしいって?んじゃ、二人っきりになれるトコに行くか」
「誰もそんな事言ってな、ちょ、だから離してって」
「遠慮すんな。『親しく』なった記念ってヤツだ」
強調された単語に背筋が凍りつく。
─何て言うんだっけ、こういうの、ホラ。
いや、駄目だ。考えちゃ駄目だ。その答えはきっと、私を完膚なく打ちのめすような気がひしひしと─


葛藤空しく、ほうほうの体で衛宮邸に逃げ込んだ私に、居合わせた遠坂主従が
「乗せられるのを回避するつもりで、また乗せられたって事ですね」
「こういうのも、ミイラ取りがミイラと言うのかな」
「馬鹿ねアーチャー。この場合はむしろ、藪蛇でしょう?」
「ああ、確かにそうだな。マスターの意見に賛同しよう」
方やにこやかに、方や嫌味たっぷりに回答を突き付けるのは、これから間もなく後の話。







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080910