きっかけは、実に些細な事だった。
「エプロン姿もそそるねぇ、」
夕飯前。
居間のテーブルの隅で胡坐を掻き、飄々と話し掛ける、槍の騎士。
「お世辞ならもう少し上品な表現にして下さい、ランサーさん」
話し掛けられた当人─おそらく、ランサーが今我が家に居る理由─が、テーブルを片しながらあしらう。
藤ねえと桜は弓道部の試合で、今日は来ない。
保護者代理?を藤ねえに押し付けられたらしいさんは、桜の分まで手伝ってくれている。いつも食事が出来上がった頃にふらりとやってきて、美味しいところだけ掠め取っていくあのタイガーの友人とは、とても思えない。
と、そこに現れる一つの影。
「おや。居たのかね、ランサー」
「居ちゃ悪ィかよ」
「いや、何。足繁く他人の家に通うほど、かの槍兵は暇なのかと思ってね」
半目で見下ろして、皮肉げに言い捨てるアーチャー。
ランサーは眉を顰めたが、口の減らねえ野郎だな、と一言呟くに留めた。
「アーチャー。悪いけどテーブル拭いてくれる?」
「ああ」
布巾を差し出すさん。軽く頷くアーチャー。いつもの光景だ。
が、立ち上がり掛けたさんの腕を、
「─ちょっと待った」
二人の会話を聞いていたランサーが、掴んで止めた。
セイバーさん出番です
「俺の聞き間違いじゃなければ、今この野郎の事呼び捨てなかったか?」
視線はさんに固定したまま、ランサーは親指でアーチャーを差した。
「?──ええ」
怪訝な顔で頷くさん。─うん、俺にもその真意は読めない。
「」
こいこいと手招きするランサー。首を傾げつつも、従うさん。
「俺の名前、呼んでみな?」
先程アーチャーを差した親指で、今度は自身を指差すランサー。─あ、何となく、解った気がする。
「─…ランサーさん…?」
こちらは未だ気づいてないみたいで、躊躇いがちに、それでも要求には従うさん。
ランサーが首を傾げる。
「ひとつ、聞いてもいいか?」
「何でしょう?」
「何でコイツと俺とで、話し方が違うんだ?」
その顔には純粋な疑問が張り付いている。さんと言えば、益々怪訝な顔つきになっただけだ。
ふ、と笑い声が聞こえた。
「細かい事に拘ると、底が知れるというものだぞ。ランサー」
「手前は黙ってろよ」
アーチャーの嘲笑を、面倒そうにあしらうランサー。
で、何でだ?と、さんに重ねて問うた。
ランサーの疑問が余程謎なのだろう、さんは明らかに戸惑いを浮かべ、それでも遠慮がちに口を開いた。
「─…アーチャーとはそれなりに親しいから、ですけど」
「俺の方が仲良いだろ?」
「え、それはないです」
条件反射的な反応速度で、すっぱりと切り捨てるさん。
─彼女がランサーを苦手にしているのは知ってるけど、この返答は何というか、同じ男としては同情せざるを得ない。
しかしこの程度で怯むランサーではない。即座に何か言い返そうと口を開き掛ける。
が、赤い男の嘲笑がそれを阻んだ。
「フ。容赦ない返答を叩きつけられたものだな、ランサー」
「─…人の邪魔してまで何が言いてえんだ、手前は」
「何。現実は時として残酷なものだと思ったら、つい口をついてしまっただけだ」
いつの間にか、アーチャーはランサーの対面に陣取って座っている。
アーチャーの皮肉とこいつらの仲の悪さには慣れたが、食事時くらい控えてくれないものだろうか。
というか、仲悪い癖に何でわざわざ真向かいに座るんだ、アイツはっ。
俺は溜め息を吐くと、台所から声を掛けた。厄介事を未然に防ぐのも、家主の務めだ。
「おい、飯時に喧嘩は止せよ」
くるり、とアーチャーが顔だけこちらを向いた。
「─喧嘩、だと?私はただ、この呼ばれざる来客に事実を述べていただけだ」
いや、その事実とやらも、お前の口から語られるとムカつき度12割増なんだがな?
「まあ、受け取る側がどう解釈するかは、私の預かり知るところではないがね」
だから、その三言くらい多いのが問題なんだってば。
「─喧嘩なら高値買取するぜ…と言いたいところだが」
ふー、と息を吐き、ランサーはさんの手を取った。
「今はこっちを楽しみたい気分なんでな。これ以上野暮な真似すンじゃねえよ、弓兵」
目線はさんに注がれたまま。が、その声は、最後通牒とでも言うように僅かな殺気を含んでいた。
因みに台所では、そろそろ料理が出来上がっている。こちらとしても、険悪な空気はこの辺にして頂きたい。
ついでに言うと、さん解放してくれないかな、ランサー。─いや、無理か。
「彼女はそうでもないようだが?」
「手前にゃ関係ねえだろうが」
「関係ならあるとも。『親しく』させて貰っている身としては、心配するのは筋というものだ」
ご丁寧に一語一語噛み締めるように言って、アーチャーは思いっ切り皮肉な笑みを浮かべた。
ぴしり。ランサーの肩が、小さく揺れた。
「──これ以上はやめとけ、って忠告した筈だぜ。アーチャー」
「ちょ、ちょっと二人とも…」
「やれやれ。君はこれ以上、彼女を困らせたいと言うのかね?」
「─…言ったな、テメエ。いい度胸じゃねえか…」
ランサーの顔が、獰猛な獣のそれに変わっている。さんの制止も、最早効果がないようだ。
─ちょっとコレは、本気でヤバイかも…?
冷や汗を垂らしたところに、第四の人物が現れた。
「シロウ、そろそろ夕飯……む、この殺気は?」
我らが騎士王、セイバーの登場である。
よし、天はまだ俺を見捨ててはいなかった。セイバーならきっと、あの二人を──
俺は小声で、ここに至る経緯を話した。
「─という訳でさ。セイバー、何とかならないか?」
セイバーはふむ、とアホ毛を揺らし。
「解りました、シロウがそう言うのであれば。何とかしてみましょう」
「本当か、助かるよ!」
「お任せを。─食事時にあのような所業、全く持って度し難い」
ぎろり、と居間の一角を睨み付けるセイバー。
─怒りのポイントは、あくまで食事なんだな…。
止めてくれるなら何だっていいさ。俺はセイバーの言葉に頷いた。
「頼むよ」
「ええ。─とは言え、第三者であるシロウの話だけで判断するのは不公平というもの。まずは、双方の言い分を聞いてみることとします」
怒っていても、セイバーはセイバーだ。こういうところは、素直に感心する。
青いリボンを揺らしながら、セイバーはつかつかと居間へ歩いて行った。
「─セイバーちゃん」
まず反応したのは、さんだった。
笑みさえ浮かべて、こくり、と頷いてみせるセイバー。─何て頼もしいんだ。これならきっと安心だな。
「アーチャー、ランサー!食事時にそのように殺気を放つなど、迷惑千万この上ない!」
─やっぱり、食事なんだ…。
「─ですが」
こほん、と咳払いをするセイバー。
「一方的に糾弾するのは騎士道にもとります。よって、まずは互いの言い分を聞かせて下さい」
仁王立ちで言い切り、セイバーは二人を見遣った。
二人は睨み合ったまま、セイバーに目を向けようともしない。
「アーチャー、ランサー…」
「─アンタはすっこんでな」
「セイバー、この問題は君の手には些か余る。そこで大人しく、静観していると良い」
痺れを切らしたセイバーに、目もくれず答えるランサー。ちらり、と見はするものの、あやす様な口調のアーチャー。
「─…っな…」
かあ、とセイバーの顔が赤くなった。わなわな、と握った拳が震えている。
逆鱗に触れたか、と思ったが、やがてセイバーは静かに目を閉じ、ふう、と息を吐いた。
「─もう一度だけ聞きます。…何が、あったのですか?」
ちょっと震える声で、質問を繰り返すセイバー。二人の無礼を我慢したようだ。偉いぞ。
と、思ったのも束の間。
「引っ込んでろっつってんだろ」
「君がどうこう出来る事ではない。下がっていたまえ、セイバー」
最早セイバーを見ようともせず、ぞんざいな言葉を投げるアーチャーとランサー。
─ごう、と風が鳴った。
「ちょ、ちょっと何よ、地震!?」
丁度ドアを開けた遠坂の声が聞こえる。
「…セ、セイバー、風王結界解放してる…ッ」
一瞬で白銀の鎧姿に変化した、その手に眩い刀身が光る。
いや、セイバー。幾らなんでも、いきなり宝具解放はマズイだろう…!
何がってウチが、ウチがッ!
「…聞く耳持たない、という訳ですね。いいだろう。その身もろとも、成敗してくれる…ッ」
低い声で呟くセイバー。向かいに座るさんの髪が、豪風に靡いている。
やばいやばいやばい…!!
「ちょっと衛宮くん、どういう事よ!?」
「と、遠坂…悪い!もう俺の手には負えん!何とかしてくれ…!!」
藁にも縋る思いで、目の前の遠坂に手を合わせる。
情けない事この上ないが、あそこまでブチ切れたセイバーを止められる自身は、俺にはない。
このままじゃ家が、料理が!と狼狽する俺に、遠坂は溜め息を吐いて、
「─全くもう、何だってのよ…!─ちょっとアーチャー!!」
よく通る声で、赤いサーヴァントを呼びつけた。
「何とかしなさい!どうせアンタ等が何かしでかしたんでしょう!?」
こんな時でも、一瞬で事態を把握してしまう遠坂は、やっぱりスゴイと思う。
もちろん、この時の俺にそんな余裕はなくて、これは後から思った事なのだけど…
マスターである遠坂の声に、赤い外套の男は振り向いて、深く溜め息を吐いた。
「心外も甚だしい決め付けだが……マスターの命とあらば、仕方あるまい」
そして、ランサーに向けていた体を、やおらセイバーの方へ向いて、一言。
「─セイバー。夕飯後に私特製のザッハトルテをご馳走しよう。それで剣を収めてはくれないか?」
「いいでしょう」
早!セイバー早ッ!!
その間、コンマ三秒。アーチャーの一言に、セイバーはあっさりと武装を解いた。
居間を駆け巡っていた風が止む。
─うん、何か花瓶とかリモコンとか色々飛び散って、壁とか障子とか破損してるけど、家の崩壊に比べたら些細な事だ…!──あれ、おかしいな。涙出てきたぞ。
「そういう訳だ。衛宮士郎、早速だが夕飯が並ぶまでの間、仕込みに入らせて貰うぞ」
エプロンを締めながら、ずかずかと台所へやって来るアーチャー。
居間には行儀良く正座するセイバー、呆気に取られたさん、突然相手を失くしたランサー。
「──何か、気ィ抜けたな」
ぼそり、とランサーが呟いた。
ぼりぼりと頭を掻くと、当初の目的に立ち返ったのか、おいで、なんて囁いて、慣れた手つきでさんの腰を引き寄せる。
もっとも、その直後、無言でその手を抓られ、痛え!と絶叫していた。手加減もして貰えないほど、さんの怒りまでしっかりと買ったらしい。無理もない。
かくして、その日の夕飯は、いつも通りつつがなく平和に済ませる事が出来た。
食後、アーチャーお手製のザッハトルテをご満悦で平らげた騎士王は、
「ザッハトルテ……レシピを聞けば、シロウにも作って貰えますね…」
ボソリと、何やら神妙な面持ちで呟いていた。
俺はと言えば、居間の修復を施しながら、食事時のセイバーには二度と触れるまい、と心に誓ったのであった。
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弓は兄貴を弄りたいだけ、兄貴は弓に難癖つけられるのが我慢ならないだけです。
兄貴はこの程度で嫉妬するような男じゃないんだぜ。
080912