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「石神さん!」
呼ぶ声に振り返れば、走ってきたのだろう、直ぐ背後で有里がハアハアと肩で息をしていた。
どうしたの、と石神が問えば、息を整えた有里はいつも以上にキリッとした顔─睨んでいるようにも見える─を向け、話があるんですけどお時間いいですか、と聞いてきた。
「いいよ。何?」
すっかり帰り支度を済ませた格好の石神が、首を傾げて有里に目線を合わせる。
有里の目が険しくなる。
─俺、広報に怒られるようなことしたっけ…?
内心で石神が疑問符を出していると、有里が意を決したような顔で口を開いた。
「海莉さんのことなんですけど」
ぱちくり、と石神が瞬きをする。
「…レイちゃんがどうしたって?」
咄嗟に出かかった拳を、有里は理性で収めた。
「─…先日、休憩室で、彼女に『何か』しました、よね?」
一語一語区切るように口に出す。
石神は暫く考える素振りを見せた後、
「──ああ!もしかして、アレ誰かに見られてた?」
悪びれる様子もなく、有里の沸点スレスレの返事を返した。
「…ということは、間違いないんですね?」
「何が?」
「石神さんが、海莉さんに、キ」
「あー、待った待った」
言いさした有里の顔の前に、制するように石神の手のひらが差し出される。
参ったな、と石神が後ろ頭を掻く。
「あんま大きな声で言うことでも、ね?」
困ったように笑う石神。
有里は下を向いて、小刻みに肩を震わせた。
「──聞きたいことは、一つなんですけど」
地の底から響くような低い声で、有里が言う。
思わず一歩後退しつつ、石神は何かな、と問うた。
「どういうつもりなんですか」
顔を上げた有里は、ただ石神を真っ直ぐ見据えていて。
その言葉に、石神はまた二、三度瞬きをして、表情を変えずに首を傾げた。
「…えーとつまり、何でちゅーしたかってこと?」
「……有り体に言えば、はい」
「何でってそりゃ」
石神は、何を言っているんだ、とでも言いたげな顔で、
「レイちゃんがあんまり可愛かったから」
さらり、と言った。
再度、拳を収めた自分を褒めてやりたい、と有里は思いつつ、
「─それは、具体的には、つまり?」
はっきり言えこの野郎、と視線に込め、石神を睨みつけた。
「具体的に?…ここで言わないと駄目?」
後半部分は内緒話のように小声で、石神が言う。
はい、と有里が即答する。
「…もしかして、怒ってる?」
今更のように石神が問う。
「私のことはいいですから、石神さんの返事を」
肩を震わせつつ有里は、落ち着けここは職場、と脳内で呪文のように唱えた。
んー、と石神がまるで堪えてない様子で言葉を探す。
やがて、石神はその目線を有里に戻し、
「─まあ、具体的に言うと」
「言うと?」
「レイちゃんは俺の嫁?」
─シュッ。
「うおっあぶねえ!」
高速で繰り出された有里の拳を、ギリギリのところで石神が躱す。
「石神さん!私は真剣な話をしてるんです!」
「俺だって真剣だよ!?」
語気を荒らげた有里に、石神が即答する。
「………えっ」
有里が、ぽかんと口を開けた。
「…石神さん。それって」
「うん」
呟きのような有里の問いに、石神がこっくりと頷く。
「あの、そのこと…海莉さんは」
先程までと打って変わって控えめに、有里が言う。
石神は、うーん、と苦笑した。
「いやー、散々態度に出してるつもりなんだけどねえ」
「…石神さん」
「んー?」
有里が、真剣な表情で顔を上げた。
「あの人には、はっきり言わないと通じませんよ?」
「言ってるつもりなんだけどなー」
石神がまた首を傾げる。
有里が、少し眉を顰めた。
「可愛いとか綺麗とかくらいじゃまず無理です。まして、普段のテンションで何言っても、冗談に受け取られるのがオチですよ」
「え、じゃあ今までの全部、冗談だと思われてんの俺?」
「…石神さんが他に何をしたかは敢えて聞きませんけど、恐らく」
だって、と少し声を落として有里が続ける。
「その、今回の件だって…石神さんがどういうつもりとか、海莉さん全く気付いてませんから」
えええ、と石神が呻く。
「有里ちゃん、俺ちょっとそれは……かなりショックなんだけど」
ポン、と石神の肩に有里が手を置く。
「知り合いの立場から忠告しますけど…諦めて腹を括るか、彼女自体を諦めるか、の二択かと」
「え、やだよレイちゃん諦めるとか!ないない!」
石神がブンブンと手を振って否定する。
「…石神さん…その。本気、なんですか?」
「本気でもない相手にちゅーなんかしねえよ!?有里ちゃん俺のこと何だと思ってんの?」
「あ、いえその。えーと………すみません」
「……あ、うん。何となく分かった」
有里の謝罪とその前の沈黙から何かを察したのだろう、石神はそれ以上追求はせず、哀愁の漂う背中を向けてはあ、と溜め息を吐いた。
コホン、と有里が一つ咳払いをした。
「ええと、双方の事情は概ね把握しました」
ただ、と有里は石神を見上げた。
「海莉さんは多分色々と誤解してるんで…というか元はといえば石神さんが誤解させるようなことするからいけないんですけど」
「さりげにボロクソに言われてるね、俺」
「当然です」
きっぱりと、有里が言い切る。
「…あのさ」
石神が、遠慮がちに切り出す。
「もしかして、レイちゃん…泣いてたりした?」
有里は、はあ、ともう一度溜め息を吐いた。
「私は見てませんけど、丹波さんの話によれば、ハイ」
というかあの人、私の前ではそういうの見せてくれないんですよ昔っから!それで何でよりにもよって丹波さん!?と、有里が拗ねたように憤る。
まじかー、と石神が目を覆って空を仰いだ。
「え、しかもそれ、俺が泣かせたレイちゃんを丹さんが慰めたってことでしょ?割と俺最低じゃない?」
「だからこうして話をしに来たんですっ」
当初の気分を思い出し、有里が少しキツイ口調で言い切る。
あー、と石神が腰に両手を当てた。
「なあ有里ちゃん」
「はい」
「この場合、俺はどうするのが一番いいの?」
「自分で考えろ…って言いたいところですけど」
「それはそうなんだけどさ。だって、まあ情けないけど、また裏目に出ちゃう気がしてなあ。俺、これ以上レイちゃん泣かせたくないし…いや、元々泣かすつもりなんてなかったんだけど」
珍しく、心から困ったような顔で石神が言う。
「まあ、それは私もそう思います」
有里は頷いて、とりあえず、と続けた。
「先ず、その気があるなら海莉さんに謝って下さい。どういうつもりであれ、困らせたことに変わりないんですから」
「──うん」
「その先は…」
有里は、そこで一旦言葉を切り、少し目線を横に流した後、再び石神の方を向いて。
「大人同士の問題ですから。そこから先は、フロント側としての私からは何も言うことはありません」
「はい」
「ただし」
素直に頷く石神に、有里がビシ、と指を突き付ける。
「海莉さんの個人的な友人の立場から、一言だけ言わせて貰えば」
「ば?」
キッと、有里は石神を睨みつけ。
「これ以上海莉さん泣かせたら、私が承知しませんから」
突き付けた手を拳の形に握って、石神の目の前に出した。
「ん、わかった」
石神は、力強く頷いて、有里の言葉に答えた。
「──以上。お帰りのところ引き止めてすみませんでした」
「いえいえ」
広報の顔に戻って頭を下げる有里に、石神もいつもの口調で軽く笑った。
「さてと」
去って行く有里の後ろ姿を見送りながら、石神は呟いた。
「…嫌われてねえといいなあ…」
─あと、とりあえず丹さんシメよう。
物騒な本音は、心の内に仕舞っておいた。
+++
裏事情的なあれそれ、という。
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