「ここさ、ナンの持ち帰りやってて、前に誰かが持ってきたの食わせて貰ったことあって」
ケバブに齧り付きながら、石神さんが話す。
「お、うめえ。ちゃんも食べてみ?」
「あ、はい。頂きます」
「─でさ。そんときのナンが美味くて。ナンだけ美味くてカレーが不味いとか、まずないでしょ」
「確かに、そうですよね」
初めての肉料理を口に運びながら答える。
ペッパーの効いた肉汁が口の中に広がる。
「あ、おいしい、これ」
「だろ?」

それから、運ばれてくる料理─カレーが中心ではあったけど、サイドメニューも石神さんがポンポンとオーダーしていた─を食べながら、クラブ関係の雑談なんかをした。
曰く、堺さんは交友関係を巧妙に隠し過ぎで、恋人がいるかどうか読めない、とか。
有里ちゃんは達海さんに容赦なさすぎだ、とか。
あとは、出てくる料理に二人して舌鼓を打った。
石神さんはグリーンカレーを見るのが初めてだったらしく、
『すげーなこれ。ホントに緑なんだ』
でもカレーの味するし。とか言いながら、やたら感心していた。

石神さんの話す口調が楽しくて、私は想い人の前だということも忘れて声を上げて笑う。
おいしい、と可笑しい、を何度言ったか分からないような、食事のひとときだった。


「おいしかったー」
「そりゃ良かった。でも本当に美味かったなあ」
「あの」
「あー、だからいいって。今日も思いっきり俺が誘ってんじゃん」
たくさん食べて、たくさんお話をして、店を出て。
私が財布を出す動作をするより先に、石神さんがそれを制す。
「でも、こないだもご馳走になっちゃって」
「いーって。たまには奢らせてよ」
それに、と石神さんが片眉を下げて笑う。
「これでも一応プロだからさ。それなりのお給料貰ってますので」
それを引き合いに出されてはもう何も言えなくて、私はただご馳走様でした、と頭を下げる。
いーのいーの、と軽い調子の石神さん。
ちゃん美味そうに食べるから、奢り甲斐あるしねー」
「え、だって本当に美味しいですもん」
「そうそう。その嬉しそうな顔がお返しになってるってことで」
そう言って、私の頬にむに、と指を当てる石神さん。
にっと笑って指を離してから、今更のようにあれ、と後ろ頭をかいて、
「…ちょっとクサかったか?」
なんて言うものだから、笑って、そうですね、少し。と返した。
「ありゃ。…まあいっか。たまには石神さんにもカッコつけさせてよ」
「石神さんはいつもかっこいいですよ」
思わずさらりと口をついた言葉に、石神さんの動きが一瞬だけ止まる。
私を凝視して、あれま。と言った後、
「そんなこと言っても、メシ代くらいしか出ないぞー」
と言いながら、私の頭をお昼のように、わしわしとかき混ぜた。

「ちょ、ちょっと石神さん、やめて下さいってば」
「え?駄目?」
「駄目っていうか…そもそも、何で撫でられてるんですか、私」
「えー?ちゃんかわいいし」
「かわいいって歳じゃないですけど…」
「でもやっぱり、年上感ねえよなー」
「それは精神年齢的な話をしてるんですか」
「ん?どうだろ」
下から少し睨んでみると、何でもない返事でさらりと躱される。
「…もしかしなくても、玩具にしてますよね?」
「えー、してないって。でも玩具ってなんかやらしーよね」
「…それは、そう思う人がやらしいんだと思いますけど」
「えっ俺やらしい?」
「かも知れませんね」
何でもない会話が続く。
と、私の頭を撫でていた石神さんの手が止まり、反対の手で私の口元を指さした。
「あ」
「?」
何か、と言おうとしたときにはもう、石神さんの指が私の口元を拭っていて。
「ペッパーついてた」
なんて、やっぱり何でもないことのように石神さんは言う。

「…く、口で言って下さいよ」
「いや、気付いたらつい、さ」
「つい、じゃありません」
抗議すると、まーまー、と石神さんは降参のポーズを取る。
そして、はたと気付いたように、
「…今のって、セクハラになんの?」
なんて聞いてくるものだから。
「…人によるんじゃないですか?」
妥当な答えを返すと、そっかそっか。なんて何考えてるんだか分からない顔でしきりに頷く石神さん。
そのまま、視線がこちらに移って。
「あれ。まだ取れてないな」
私の口元を見て、言う。
「えっやだ恥ずかしい、どこですか?」
言いながら、慌てて鞄の中から鏡を探す。
と、ぽん、と石神さんの手が私の肩を叩いた。
「…?」
振り返ると。
「ちゅーしよっか」
いつもの表情で、なんかとんでもないことを、言われて。

「………な」
「いや、擦っても取れなかったし、ちゅーしたら取れるかなって」
心臓が飛び出しそうな私に構わず、のほほんと言い放つ石神さん。
あんまりにもいつもの調子なものだから、慌てるのも馬鹿らしくなって、
「何でそうなるんですか。自分で取りますので、結構です」
やっと探し当てた鏡を見ながら、石神さんに背を向けて口元を写した。
「駄目かー」
後ろでそんな声がするので、何で駄目じゃないって思えるんですか、と出来るだけ軽い調子で返す。
「……あれ…」
鏡を見ながら、思わず呟く。
「んじゃ、そろそろ帰っかー」
背後でそう石神さんが言うから、私は慌てて鏡を閉じた。

「すみません。お待たせして」
「いーえ。取れた?」
「……あっ、はい。おかげ様で」
答えると、そりゃ良かった。と石神さんはいつもの笑顔で笑った。

二人して帰路に着く。
今日も空は晴れていて、見上げると星が綺麗だった。
「寒いなー」
そう言って、石神さんがこの前のように、私の手を握ってくる。
「うわ、ちゃん手冷たいなー」
その口調はやっぱりいつも通りで、私はなるべく意識しないように、遠くの星を見た。

帰り道、頭をずっと占めていたのは、さっき鏡に写した自分の顔。
何度か見直したけれど、口元には何も、ついてなかった。
それが石神さんの見間違いなのか、私の見間違いなのか、それとも他の何かなのかは、
敢えて、考えないことにした。








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この辺りで石神さんは、「あれっ、もしかしてこの子鈍い?」とか思い始めます。
120118