「そこで、提案なんだけど」
何でもないような石神の言葉を、はじっと耳を傾けて聞いた。
case4.ブラジル料理
その日に至るまでに、石神達雄の心は決まっていた。
ブラジル料理店を指定したのは入ったばかりのガブリエルと雑談をしていたときに、やけに輝いた目で『スゴク、オススメ』とプッシュするものだから、それなら、と候補に上げたまでだった。
彼女と行くならどこだって楽しいだろうという思いと、どうせなら変わったものや美味しいものを食べさせて、彼女の驚いたり喜んだりする顔が見たい、という思いが半分ずつ。
「ちゃん、ちゃん」
部屋の前で手招きをすると、デスクでペットボトルに口をつけていた彼女がこちらに気づき、足早に寄ってきた。
「石神さん。何かありましたか」
「うん。今日、終わったらご飯行こ」
前置きも何もなく唐突に誘いをかける。
は一度瞬きをしたが、直ぐに
「──ハイ」
と、はにかんだ顔を返した。
それは、石神の予想を多少ならず上回るもので、
「急にごめんね」
一応礼儀として言うと、彼女はいいえ、と小さく首を横に振り、
「…少し、久しぶりですね」
そう言って、嬉しそうに笑った。
その笑顔も言葉も石神には予想外で、一瞬心臓が高鳴ったのを、石神はいつものポーカーフェイスで誤魔化した。
陽気な音楽が流れる店内で、異国の料理に彼女は、石神の予想通り、驚いたり喜んだりと忙しなく表情をくるくると変えた。
「ちょっと騒がしいけど、大丈夫?」
声をかけてみると、は取り皿に料理を取り分けながら、「むしろ楽しいです」と言ってにっこりと笑った。
─ああクソ、やっぱり可愛いなあ。
久しぶりに間近で見るその表情に、石神は漏れ出しそうな心の中の色んなものを無造作に押し込めた。
彼女を食事に誘うのは、およそ1ヶ月ぶりのことだった。
石神は石神でミーティングやら練習やらに追われ、彼女は彼女でこのひと月はいつも以上に忙しい日々だったため、それどころではなかったのが主な事情。
そろそろ勝負をかけると決心した直後のその状況に、しかし石神は焦ることをせず、慎重に、互いの都合が上手く合う日をカレンダーと日々格闘して、ようやく探し当てたのが今日という日だった。
「ガブリエルくんて、面白い子ですよね」
の言葉に、石神はぼうっと彼女に見とれていた意識を呼び戻した。
「うん、面白い」
そう言うと、ふとガブリエルが正式に加入した日のことを思い出し、石神の口から笑いが漏れた。
「石神さん?」
「いや、ちょっと思い出し笑い」
くつくつと肩を揺らし、石神はガブリエルと清川の一件をに話して聞かせた。
「…コンニャロ、ですか」
がぽつりと呟く。
「うん。しかもそれ仕舞いには原型留めなくなっちまって、今じゃホンニャロ、とか口癖みたいに言ってるんだぜアイツ」
ふっと、が堪え切れずに吹き出した。
「ああ、それで清川さんが」
アイツには参る、と苦笑交じりに零していたのをどこかで耳にしたのを思い出し、は大きく頷きながらも笑いが止まらない。
「ちゃん、ウケ過ぎ」
「だって…ふっ、ごめんなさ、い」
笑いながら律儀に謝るに、いいよ、と石神も笑う。
「笑ってるちゃん可愛い」
そう言って頭を撫でると、彼女の笑い声がピタリと止み、紅く染まった顔が石神を見上げた。
「ごちそうさまでした」
彼女が行動を起こす間もなく伝票をごく自然な動作で奪い取り、半ば強引に奢って店を出ると、はいつものように丁寧に頭を下げた。
「どういたしまして」
さらりと返すと、は顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。
「お食事も、お話も、とっても楽しかったです」
「そりゃ良かった」
「──あ、と」
「ん?」
少し俯いて言い淀む彼女に首を傾げると、暫く言葉を探すようにした後、は石神と目線を合わせた。
「─久しぶりに一緒にお食事出来て、その…嬉しかった、です」
─ここだろ。
ストライカーではないが、勝負をかけるなら今だ、と石神の本能が囁いた。
「まだ、時間早いね」
「え?…あ、はい。そうですね、まだ」
時計を確認しようとしたを制するように、石神は言葉を続けた。
「そこで、提案なんだけど」
「───え?」
次の瞬間、ふわりと、の身体は石神の腕の中に収められた。
「………あ、の」
「もし、嫌でなかったら」
石神は、の背中に回した腕に力を込めた。
「この後、石神さん家に来ませんか」
ぱしぱし、と、が瞬きする音がすぐ傍で聞こえた。
─ああ、ちゃん睫毛長いもんなあ。
緊張する鼓動とは裏腹に、頭のどこかで冷静に、石神はそんなことを考えた。
「─…え…っと。それって、その」
抱き締めたまま見下ろせば、耳まで紅くしたが、言葉にならない何かを必死に発しようとしている。
石神は、ふうと一度だけ、息を吸って吐いた。
「え?石神、さ───ん」
彼女の顎にそっと手を当てて上を向かせ、目を見開いたままのの唇に自身のそれをそっと重ねる。
ゆっくり3つ、数えるまでそうして。
「………い…」
口元を押さえてしきりに瞬きする彼女の額にもう一度軽く口付け、石神は再びを、先程よりもう少し強めに抱き締めた。
「ちゃんに惚れてます」
顔が見えないまま、耳元ではっきりと、そう言って。
「…石神、さん」
やっぱり呆然としたままの彼女と、今度はしっかりと、視線を合わせて。
「抱きたいから、嫌じゃなかったら今からウチにおいで」
そう口にすると、彼女の顔が更に紅く染まった。
「──あの、そういえば」
手を繋いで石神の自宅へ向かう道すがら、まだほんのりと紅い頬のが、話題を探すように口を開いた。
「ん、何?」
「……ETU三大ビックリの最後の一つって、何だったのかな、って」
「ああ」
石神は少しだけ苦笑した。
きっとこれは、場をもたせるために彼女が必死に探し当てた、『とりとめのない』話題、のつもりなんだろう。
思わず、ごめんなー。と、心の中で謝罪する。
「それはね」
石神が、の耳に口を寄せた。
「可愛い女の子がウチに入ってきて、自分がその子に惚れちゃったこと」
+++
お食事シリーズ、ここで一応の完結です。
お付き合いありがとうございました。
120210