「んー」
大好きなイチゴ牛乳を飲みながら、窓の外を眺める。
空は青く晴れていて、イチゴ牛乳は美味しくて。
そんなことで、仕事の疲れなんて消え去ってしまう、私の大切な時間。
イチゴ牛乳が甘くて
「あ」
と、声を発したときにはもう、それは私の手から消えていた。
慌てて横を向けば、ちゅー、と飲みかけのイチゴ牛乳を当たり前のように飲む達海監督。
「ちょ、達海さん!それ私の」
咎めると、達海さんはこちらに目線を寄越して瞬きし、ちゅう、と更にもう一口イチゴ牛乳を啜った後、ようやくストローから口を離した。
「ごちそーさん」
ストン、と私の手元に戻されるイチゴ牛乳(3分の1くらい飲まれてしまった)。
「じゃーねー」
「ちょ、ちょっとー!」
満足したのか、達海さんはヒラヒラと手を振りながら、休憩室から去ってしまった。
残されたのは、飲みかけのイチゴ牛乳。
「………はあ」
溜め息を一つ。
こういうことは初めてではなくて、慣れちゃいけないと思いつつもあの手癖の悪さへの対抗策は今のところ、考案されていない。
「…私のイチゴ牛乳…」
悲しげに呟いてみるが、奪われたものが戻ってくるわけもなく。
それでも半分ほど残して去ったのは、あの監督なりの心遣い、なんだろうか。
「……まあ、いいか」
私は諦めて、残りのイチゴ牛乳を片付けようとストローを口へ近付けた。
「こーら」
ひょい、と再び私の手からイチゴ牛乳のパックが消える。
今度は何だ、と右手を向けば、そこにいたのは監督ではなくて。
「…石神さん」
「駄目でしょ。人の飲みかけなんて飲んじゃ」
子供に諭すような口調で、石神さんが眉を寄せる。
そのまま、自販機の方へ回れ右をすると、ポケットからコインを出して投入し、イチゴ牛乳のボタンを押す、石神さん。
「はい」
手渡されたのは、今しがた取り出された、新しいイチゴ牛乳。
「え、でも」
「新しいのがちゃんとあるから、そっち飲みなさい」
いいね?と念を押す石神さん。
しばし呆然としてしまったけれど、ようやく、自分が今彼の優しさに触れていることに気づいた。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ。休憩終わっちまうから、早く飲んじゃいな」
礼を述べると、いつもの軽い口調で答えて、石神さんは監督の飲みさしの方のパックへ口をつけた。
「いただきます」
「どうぞー」
真新しいストローをパックに挿し、ひんやりと冷たいイチゴ牛乳を喉に通す。
「んー、おいしいー」
思わず、そんな言葉が口をついて、ついでに顔もニヤけてしまう。
大好きなものを味わう瞬間は、いつだって幸せなものなのだ。
「ちゃん、ホントそれ好きなー」
ストローを咥えたまま、石神さんがしげしげとこちらを見る。
「はい!大好き」
年甲斐ないな、と思ったのは後のまつりで、反射的に私は満面の笑みを返していた。
石神さんが、少し眉を下げて笑う。
「かわいいなー、ちゃんは」
そう言って、石神さんの手が、私の頭をわしわしと撫でる。
「い、石神さん」
「ん?嫌?」
石神さんの目が覗き込む。
いつもだったらもう一声反論するところだけれど、何と言ってもイチゴ牛乳の恩人であるという一点により、今日ばかりは大人しく口を閉ざした。
「イチゴ牛乳くらい、石神さんが幾らでも買ってあげるからさ」
私の頭を撫でながら、石神さんが言う。
「これからは、獲られても人の飲みかけ飲んじゃ駄目だよ」
少し口を尖らせて、言い含めるような物言い。
私は首を捻り、少し視線を彷徨わせてみたけど、確かにあまり行儀の良い話ではないかな、と納得して、ハイと素直に頷いた。
「ん、いい子」
石神さんが笑顔になる。
子供じゃないんですから、と私は一言だけ反論した。
ぺこり、とパックが凹んだ。
飲み干した直後にも、つい笑みが零れてしまう。
ふと横を見ると、石神さんはとっくに飲み終わっていて、ストローを口に含んだまま、パックを膨らませたり凹ませたりしていた。
「あの、石神さん」
「ん?」
呼びかけると、石神さんがそのまま首を傾げる。
「ごちそうさまでした」
奢って貰う好物は何でこんなに美味しく感じるのか、自分でも現金だなあと思うけど、多分そう言った私の顔は、だらしなく緩んでいただろう。
いーっていーって、と石神さんがまた私の頭を撫でる。
ゴミ一緒に捨てるから、かして。と手を出され、ありがとうございます、と言って私は空の紙パックを手渡した。
カコンカコン、と、二つのパックがゴミ箱に収まる音が響いた。
「今度、お返ししますね」
背中に向かってそう言うと、石神さんがヒラヒラと手を横に振った。
「いーって、そんなの」
笑いながらそう言われたから、私は更に背中に言葉を投げかけた。
「でも、すっごく嬉しかったので」
こちらも笑って言うと、振り向いた石神さんは一瞬、まじまじと私の顔を見て。
「んー」
何かを考えるように、斜め上方に目線を向けた。
「…?」
首を傾げていると、
「じゃあさ、今貰っていい?」
こちらを見て、そう言われて。
「え、何───」
何を?と問おうとした言葉は、柔らかい唇に塞がれて、そのまま飲み込まれて。
「ごちそうさま」
「───…ッな、」
驚くを通り越して心臓が飛び出そうになった私に笑顔を向けると、いつもの何でもない調子で、石神さんはそう言って。
「……わ」
また頭を撫でてきたから、びっくりしてつい目を瞑ってしまって。
「──甘い、ね」
耳元で、そんな声がして。
目を開けて顔を上げると、
「イチゴ牛乳。」
そう言って、石神さんは笑った。
「うわ、どうした!?」
一人になった休憩室の隅で蹲って顔を覆っていると、驚いたような声が上から降ってきて。
「………丹波さん…」
顔を上げて出た声は、自分でもびっくりするくらい、泣き声に近かった。
「ちょ、ちゃん何してんの。具合でも悪い?」
心配そうに声をかけてくれたことに、ついホッとして、
「………うー…」
ふるふる、と首を横に振る。
「…何かあった?」
しゃがみ込んで私に目線を合わせて、丹波さんが問う。
口を開きかけて、思い出してまた顔が熱くなって、私は再び顔を覆って下を向いた。
「え、何、ガミに何かされた?」
「ッ!何で知ってるんですか!?」
思いがけず出てきた名前に、つい馬鹿正直に反応してしまう。
「いや…今さっきガミがこっから出てくんの見えたから…なんだけど……何、マジでなんかあったの?」
「───…」
「いやいやちゃん、首振ってちゃわかんないから」
「………」
堪らず下を向いて黙ってしまうと、丹波さんの手がポン、と私の肩に置かれた。
恐る恐る顔を上げると、優しい笑顔の丹波さんがいて。
「大丈夫だから、丹波お兄さんに話してみ?」
「うう…丹波さーん…」
動揺し過ぎて、何がどうなってるのかもわからなくて。
半泣き声で名前を呼ぶと、よしよし。と丹波さんが私の頭を撫でた。
─丹波さんにされるのは、平気なんだけどなあ…
ぽつり、ぽつりと要領を得ない言葉を小声で幾つか吐露しながら、私はさっきとは真逆に、落ち着きを取り戻していく鼓動の音を聞いていた。
+++
丹波さんは良き相談相手的ポジションを担ってます。
(ただし、口はあんまり堅くないという諸刃の剣)
120215