「ふぁ……」
寒さの所為だろうか、明け方というやけに早い時間に目を覚ました小森は、とりあえず何か飲み物、とマンション階下のコンビニへと降りていった。
外は一面の銀世界で、つい先日初雪が降ったばかりだと言うのに容赦ねえな、と小森は眉をしかめてはあ、と白い息を吐いた。
ザク、ザクというテンポの悪い音に目線を投げれば、真剣な面持ちでコンビニ前の雪かきをしている女性がいた。
冬と彼女とホットコーヒー
「……はよっス」
一応の礼儀として挨拶すると、彼女は小森に気付いて振り返り、スコップを雪に挿した姿勢のまま笑顔を向けた。
「おはようございま……わっ」
「あ」
べしゃ、という鈍い音がして、目の前の彼女が盛大に雪の上に尻餅をつく。
「あの、大丈夫スか」
見かねて手を貸すと、彼女はハイ、と返事をし、小森の手を取らず自力で起き上がろうとした。
「いたた…大丈夫で…すッ」
「…っと」
つるり、と起き上がった拍子に足を滑らせ後ろへ傾いた彼女の背を、小森の腕が支える。
「あ、す、すみません」
「いえ。流石に読めたんで」
頭を下げる彼女に対し、淡々と返す小森。
「えっと…お買い物ですよね。どうぞ」
付いた雪をぱっぱっと軽く払い、彼女は店の中へと小森を先導した。
彼女の名は、下の名前はまだ知らない。このコンビニの店員で、日参する小森とは客と店員という意味で顔見知りであった。
苗字は胸の名札に書かれているので毎日のように通えば流石に覚えたというだけで、大して必要以上の言葉を交わしたこともなかった。今日までは。
「あれっスか。進学でこっちに来たとかそういう」
「え?」
レジを打ち終わった彼女に、小銭を出しながら小森が尋ねる。
「あんたのことス」
何を聞かれているのか分からないといった顔の彼女に、小森が補足を加える。
「?いいえ」
疑問符を頭の上に出しつつ答える彼女に、小森はじゃあ、と更に続けた。
「そうか、転勤族か。女ながらに大変スね」
彼女は不思議そうな顔をしつつ、再度いいえ、と返した。
「あの、私、地元民です」
「は?」
「いえ、ですから、ここ出身なんです…けど」
思わず素っ頓狂な声を出す小森に、首を傾げつつも繰り返す彼女。
「………」
小森の顔が、驚愕から、心底呆れた表情へと変わる。
「?あの…」
「地元の人って、雪で転ぶとか滅多にないんじゃ」
「え、あ、それはまあ」
「雪国の人間が日に2回もすっ転ぶとかあり得ねえし」
「!」
横を向いてボソリ、と呟いた小森の言葉に、彼女の顔が赤くなる。
「あ、あの、あれはたまたま」
「『たまたま』、2回、立て続けに。へえ」
半目で彼女を見やる小森。
「因みに俺は、この冬未だ一回も転んでねえんスけどね」
「いやっホント、たまたま今日は!」
「…まあ、いいっスけど」
言って、渡されたレジ袋を片手で掴み、出口へとずかずか歩いて行く。
その後ろを、彼女が少し離れてついてきた。
「?何スか」
「え?ああ、私は雪かきの続きを」
振り返った小森に、手袋を装着しながら答える彼女。
入り口に立てかけたスコップを取ろうとすると、小森がそれをひょいと横から奪った。
「─え?あ、あの」
「俺、やりますから」
困惑する彼女に答えつつ、雪にスコップを差し込む小森。
「えっいえ、私の仕事ですから」
「別にやったっていいでしょ。俺ここの住人なんだし」
ザクザクと手際よく雪をかき分けながら、やがて小森が思いついたようにああ、と声を漏らした。
振り向いて、困った顔の彼女を見てふんふんと頷く。
「…?」
「いや、そういや入居したときに聞いたなって。ここの持ち主の娘さんなんですよね、確か」
「…あ、は、はい」
ようやく自分のことを言われているのに気付いた彼女が、控えめに首肯する。
彼女の父親はこのマンションの持ち主であり、更にこのコンビニの経営者であった。
その娘が階下のコンビニを切り盛りしている、と入居時に説明を受けたのを思い出したのだ。
なるほどねー、などと呟きながら雪をかく小森。
「…ってそんなことはどうでも良くて!あの、ですから私が」
「手袋」
「え?」
近づこうとした彼女に、小森が片手を差し出す。
「それ、貸してくれません?二枚重ねしてんでしょ」
手冷たいんスよ、と小森。
彼女はスキー用の分厚い手袋を外し、小森に手渡した。
外した手袋の下から、赤いカラー軍手に包まれた彼女の手が出てくる。
「そうそう。雪触るときはこれがいいんだよな。濡れないし」
素早くそれを自分の手に嵌め、小森が再び彼女を振り返った。
「流石、地元民」
「………な」
その声は、どう聞いても皮肉にしか聞こえなくて。
何か言い返そうと彼女が思った時にはもう、小森は雪かきに戻っていて。
「あの、返して下さい」
「は?手冷たいって言ってんじゃないスか。鬼ですかあんた」
「そっちじゃなくて。スコップ」
「…何でスか」
目線を下に落としたまま、うんざりしたような声を上げる小森。
「だから、これ、私の仕事なんで」
「あーもう、うるせえな。直ぐ終わるから大人しくしてろよ」
「そ、うじゃなくて、こんなの申し訳ないですから」
ピタリ、と小森の動きが止まる。
もしかして通じたのか、と淡い期待を抱いた彼女だったが、振り向いた彼の顔は酷いしかめ面だった。
「見てらんねえ、って言ってんの」
「え……」
彼女が何事か返すより早く、小森は再び雪かき作業に戻ってしまう。
その後は、声をかけても無視の一点張りを決め込み、とうとう小森はコンビニ前の雪を綺麗に避け切ってしまった。
「…あの。ありがとうございました」
スコップと手袋を受け取った彼女が、丁寧に頭を下げる。
「──気にすることじゃないスよ。俺ここに住んでんだし、自分が邪魔と思ってやっただけだから」
「……でも」
「─ッだから、」
瞬きをする彼女から視線を逸らしつつ、小森が少しいらついた口調で返す。
「別にあんたんとこの仕事の手伝いとかじゃねえんで。って言ってんス」
そっぽを向いた小森の顔は、何だか少しだけ、拗ねた子供のような幼さを残していて。
「─あの。ちょっとだけ、いいですか」
彼女は、小森を手招きすると、再び他に客のいない店の中へ招き入れた。
「まだ何か?」
両手を腰に当てて爪先でトントンと床を叩く小森の前に、缶コーヒーが差し出される。
「手、冷たいですよね」
そう言って、同じく缶コーヒーをもう片方の手に持った彼女が微笑む。
「─…どうも」
手袋を外した彼女の白い指から、痺れるように熱い缶コーヒーを受け取る。
触れた瞬間、彼女の指先の体温が伝わってきて、そっちの方が冷えてんじゃねえか、と小森は心の中で呟いた。
彼女は、両手で包み込むようにして、自分の分の缶コーヒーで暖を取るように弄んでいる。
「─こういうの、いいんスか。売上とか」
ようやく温まった指でプルタブを開けながら、小森が尋ねる。
彼女は未だホット缶で指先を温めており、小森の質問に大丈夫ですよ、と微笑んだ。
「私のポケットマネーです」
そう言った彼女の頬は、外の冷気に晒された所為だろう鼻先まで赤みを帯びており、
─どうせ俺がやんなら、店内に居させときゃ良かった、な。
今更だけどさ。と思いつつ、小森はごちそうさま。と軽く礼を述べた。
「ところで、いい加減飲まねえと冷めますよ、コーヒー」
指摘すると、彼女はようやく手元に目線を落とし、あ、と今気付いたような声を上げた。
「…もう、温くなっちゃってます」
少しだけ困ったように笑う彼女を見て、何やってんだか。と小森は呆れ口調で返した。
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名前変換の殆どない話を久々に書いてしまった。
山形といえば冬は大変だろうなあ、という。
120222