「ひどいっスね」
部屋に入った小森の第一声は、そんな呆れ声だった。





部屋と素顔と彼女の実情





「ご、ごめんね。分かってたら片付けたんだけど、今日は小森くん急に来たから」
「人が来るから片付けるって発想がまずおかしいだろ」
ゴミこそ散らばっていないものの、およそ片付いているとは言えない室内にが申し訳なさそうに謝るが、小森の容赦のない返しにぐうの音も出ない。

いつもは約束した日に訪ねてくる小森だが、今日に限っては珍しく連絡なしでの部屋のインターフォンを押してきた。

いや、正確には、連絡はあった。

「俺もね、アポなし突撃訪問ーとか、別にやりたい訳じゃねえんスよ」
部屋の一角、の腰掛けるベッドの脇に置かれたぬいぐるみの山に近づきながら、小森が言う。
「…ごめん」
「何がスか」
「電話、気付かなくて」
先ほど、インターフォンの音で目を覚ましたが枕元の携帯を見ると、小森からのメールと着信履歴が合わせて10件ほど、残っていた。
「別に謝ることじゃねえでしょ。…まあ、心配はしましたけど」
の方を見ずに言いながら、小森が腰を落とす。
「…えっと。心配かけて、ごめんなさい」
「だから、それは別にいいですって」
淡々と答えつつ、棚からガムテープを取った小森が、それを千切ってペタリ、ペタリと床に貼っては剥がす。

「…あ、の。小森くん?」
「はい?」
「何してるの?」
「見て分かんねえスか。掃除です」
「えっ!いやいや、そんな、自分でするから」
「出来るんスか?」
「で、出来るよ流石に!」
「じゃあ、『やる』んスか?普段から、ちゃんと」
「………や」
「はい、時間切れ」
「ちょっ!」
目線は下方に落としたまま、小森はガムテープでぬいぐるみ周辺の埃や髪の毛をペタペタと取り続ける。

「…埃とか放置してると、ダニわきますよ」
「う」
「ダニとか埃って、肌荒れの原因になるらしいじゃないスか」
「……やっぱり、気になる?」
顔を手で隠しつつ、上目遣いにが問う。
小森が、は?と声を上げた。
「気にしてんのはそっちでしょ。言ってたじゃないスか。肌荒れが酷いから化粧品変えた方がいいのかなー、でも高いしなー。とか何とか?」
「はい。言いました…」
一番大きなクマのぬいぐるみを抱えた格好で、ベッドに座ったままのが小さくなる。
ペタ、ペタと、ガムテープの音が部屋に響く。

「綺麗にした方がいいと思いますよ。折角いい部屋住んでんだし。お前たちもそう思うよな?」
「…!?」
床はあらかた終わったのか、タオル地のぬいぐるみに付いたゴミを指先で丁寧に取りながら、小森が話しかけるような口調でぬいぐるみと目を合わせた。
その光景に、思わず目を見開く
「…小森くん、意外と可愛い物好きだったりする?」
「いや、別に。ただ、こいつらもそう思ってんじゃねえかなーって思っただけスよ」
ぱちぱちとが瞬きをする。
サッカー以外には特に何事にも執着を見せず、口を開けば憎まれ口が大半で、年下の割にいつも冷めた言動の彼の、そんな姿を見るのは初めてで。
「…いい歳してぬいぐるみとかウケる、とか思ってない?」
「別に、普通でしょ。女の子の部屋にぬいぐるみがあるのなんて」
「…女の子って歳でもないけど…」
「『女の子』って、名乗るのに年齢制限が要るもんなんスか?」
「どうだろう、よく分からないけど」
「じゃあ、いいじゃないスか」
雑多に置かれたぬいぐるみを綺麗に配置し直しながら、何でもないことのように小森が言う。
顔が熱くなるのを感じて、はクマのぬいぐるみに顔を埋めた。

「ボクタチ、気ニシテナイヨ。デモ、キナ方ガ嬉シイナ?」
「……!?」

口を閉じた小森の方から聞こえた可愛らしい声音に、顔を埋めていたはがばりと顔を上げた。
「こ、小森くん」
「何スか」
「い、今のもっかいやって!」
「は?」
「だから、今の腹話術」
「俺は知らねえス。空耳じゃないスか」
あくまでも表情を崩さず、掃除を続けながら小森が淡々と答える。
「……か、可愛い…!」
思わず、の口から正直な感想が漏れた。
「え?─ああ、こいつらが?」
「じゃなくて、小森くんが」
「は?意味分かんないス」
「う、うわぁ……!」
自分の代わりにせっせと掃除に勤しむ彼に悪いと思いつつも、胸の高鳴りをどうしても抑え切れず、は再びクマに深く顔を埋めた。

「………ま、いいですけど」
はあ、と小森が軽く溜め息を吐く。
「とにかく、最低限の掃除くらいはした方がいいと思いますよ」
「う、そ、そんなに汚い…?」
「つーか、やばいっス」
「…やばい、ですか」
きっぱりと答えた小森に、若干以上のショックを隠し切れない声でが復唱する。
「言っときますけど別に俺、特別綺麗好きとか潔癖症とかないっスから」
ただ、限度ってあるじゃないですか。と小森がやはり淡々と続ける。
「…限度、超えてますか」
「超過もいいトコっス」
は、顔を埋めたまま、うう、と呻いた。
「……片付けの出来ない女は、嫌いですか」
「いや、そういう話じゃねえんで」
が八の字に下げた眉のまま顔を上げる。
その表情を見て、小森は眉を顰め、そして大きく溜め息を吐いた。

「ご、ごめ…」
「あんた、見るからに掃除とかちゃんとしてそうなんだよ」
「……え?」
少しだけ大きくした声ではっきりと言われた言葉に、が瞬きする。
一瞬の後、言葉の意味を理解して。
「げ…幻滅、しました、か」
「いやー?別にそういうの期待してる訳じゃねえんで」
再び淡々とした表情に戻った小森が、掃除を再開しながら答える。
「え、でも、今のってそういう話なんじゃ」
「出来ないなら出来ないでいいですよ。俺、これからちょくちょく片付けに来ますんで」
さらりと発せられた言葉に、流石にが身を起こして歩み寄る。
「い、いやいや!自分で出来るから!来なくて大丈夫だから!」
「ああ、つまり、別にお前なんか来ていらねえよ、と」
「そうじゃなくてね!?」
「じゃあ何スか」
一気に不機嫌そうな顔になった小森と目が合う。
はクマをぎゅっと抱いたまま、あのね、と控えめに返した。

「小森くんが来てくれるのは嬉しいの。すっごく嬉しい。でも、掃除して貰うために来るとか、そんなの申し訳ないし、普通に遊びに来て欲しいから、目に余るなら私、これからもっとちゃんと掃除もするし」
「─仕事、大変なんスか」
「え?」
顔を上げると、何とも言えない表情で小森がこちらを見ていた。
「電話に気付かないほど爆睡してたのも、部屋が片付いてないのも、肌荒れ?─まあ、俺には荒れてるようには全っ然見えませんけど?─も、忙しいからでしょ」
ガムテープとぬいぐるみを両手に持ったまま、小森がをじっと見る。

「あ、あー。ええと、それは」
「何でそこを誤魔化そうとするんスか」
目線を泳がせると、即座に小森の言葉が差し込まれる。
は、自分の膝辺りに目線を落としながら、ポツポツと答えた。
「確かに最近、ちょっと忙しかったけど。でもそういうのって言い訳にならないし」
「別にいいんじゃないスか?言い訳したって。ついでに言えば、何もなくても掃除出来てなくたって別にいいでしょ」
「でも」

「─俺、あんたのそういうとこも嫌いじゃないですし」

「え?」
「何でもないス」
会話の隙間に差し挟むようにぼそりと言われたものだから、半分くらい聞き逃してしまい、が聞き返すが小森はぷいと視線を逸らす。
「ごめん、よく聞こえなかった。何て言ったの?」
「……ぬいぐるみも別に嫌いじゃない。って言ったんス」
ぬいぐるみをせっせと置き直しながら、小森が答える。
「な、何かさっき言ってたのと違う気がするんだけど…」
「空耳でしょ」
さらりと否定し、手を動かし続ける小森。
は、座っていた足を少し浮かせた。

「あの、あとは私がするよ。掃除」
小森が、の方を向き、そして再び目線を落とす。
「いや、いいスよ。自分でやった方が早いんで」
「でも」
「いいから、疲れてんなら休んでればいいじゃないスか」
でも、と小森が付け加える。
「部屋は綺麗に越したことはないんで。ちょくちょく来ます」
「…小森くん」
恐縮したようなの声に、いやね。と小森が続ける。
「俺には未だによく分かんねえんスけど、最近やたら肌荒れ気にしてたんでね。ちょっといい目の化粧水でも買ってあげようかなーとか思ってたんですけど」
「……え…」
「今日この部屋見て、よく考えたらこれ部屋片付ける方が先じゃねえのかな、と思っ……何スか」
ポカンとしたの視線に気づき、小森が眉をしかめる。
は、一度下を向いて唇を軽く噛み、そして赤くなった顔を、ゆっくりと上げた。

「…何で、そんなに優しいの…」

それは、囁くような掠れた声で、彼女の瞳は少し、潤んでいて。
「─あんた、俺と付き合ってんでしょ?」
「…はい」
「付き合ってる相手に優しくすんのは、普通のことだと思いますけど」
目線を下に落として手を動かしたまま、小森が淡々と答える。
は、ぎゅっとクマのぬいぐるみを抱き締めて、暫く無言になった後、顔を上げて小森の方を見つめた。

「─…あのね。……好き。」

思い入れたっぷりに紡ぎ出されたその言葉に、小森は表情を変えないまま、と目を合わせて。
「だったら、することあるでしょ」
は一瞬、キョトンとし、首を傾げた後、小森の手元を見て、何かに気付いたようにあっと声を上げ。
「─掃除!しますします」
腰を上げてベッドから降りたの腕を小森が掴み、そのまま引き寄せる。
「──……!」
あ、と声を上げる間もなく、深く、噛み付くように口付けをされて。


「手汚れてるから続きは後で。」
唇を離した後、至近距離で見つめ合った小森が口早に言い、を離して再び掃除に戻る。

「………ずるいー…」
手伝うつもりで開けた両手で顔を覆い、真っ赤になった耳だけが見える状態ではペタンと座り込んだ。
「何が?」
「そういうの、ずるい…!」
小森の問いに、泣きそうな声で顔を覆ったままのが答える。
はいはい、と面倒そうな声で返し、小森はの両手をそっとずらし、もう一度、今度は軽く啄むような口付けを落とした。








+++
名前呼ばれない夢第二弾Yeah!(
普段はしっかりしてる彼女の意外な一面、というお話。
120223