「─……はー」
知らず、の口から溜め息が漏れた。
膝の上に乗せたコンビニ弁当に箸を向けるが、その減りは心なし遅い。
「何してんだ」
かけられた声に顔を上げると、堺良則が何とも読めない表情で目の前に立っていた。
菫色の昼休み
「あ…こんにちは、堺さん」
「はい、こんにちは」
頭を下げると、仏頂面のまま返事が返ってくる。
堺の視線は、の膝辺りに固定されていた。
「それ、3日連続だろ」
「何で知ってるんですか!?」
それ、とは恐らく弁当のことで、が一昨日から同じものを昼食に食べていたのは確かに事実だった。
「いつもは作ってきてるよな」
の問いには答えずに、堺が続ける。
それもまた事実で、は基本的に昼食は弁当派だった。
ただ、ここ数日は残業続きだったこともあり、たまにはと手抜きをし始めたのが2日前。
何で知ってるんだろう、と不思議には思ったが、さして人数の多い訳でもないクラブ、誰かから誰かへ風の噂が流れることは別段珍しくもない。
「ちょっと、最近は手抜き気味で」
は、苦笑を返した。
「…仕事、忙しいのか」
ズバリな堺の問いかけに、また苦笑で返す。
「たまたまです。最近はちょっと残業が続いてただけで」
「チッ」
堺が舌打ちをした。
が不思議そうに、苦虫を噛み潰したような堺の顔を見上げる。
「…堺さん?」
「最近たまたま、じゃねえだろそれ」
「……え」
「徐々に増えてきてるって言わねえか。仕事量」
「あー」
は視線を彷徨わせた。
「そうとも言えます、ね」
曖昧に濁すと、堺がふうと溜め息を吐いた。
「ったく…おかしいと思ってたんだ。事務のバイトが次々辞めるから」
「え?」
「他の奴らは定時でさっさと帰ってるし、かと言ってくだらねえいじめするような奴はウチにはいないはずだし」
「……あの」
戸惑いがちに声をかけるを、堺が睨むような目付きで見下ろす。
そこで、予鈴が敷地内に響いた。
「あ、いけない」
食べかけの弁当を手早く仕舞い、が腰を上げる。
「おう、その…邪魔して悪かったな」
バツの悪そうに言う堺に、いいえ、とは笑顔を返した。
「あーその…申し訳ない」
午後、後藤GMに呼ばれて赴いたにかけられたのは、思いがけない謝罪の言葉だった。
「さんのタイムカードを確認させて貰った。無茶な残業とまでは言わないけど…明らかに、一人だけ突出してるね」
「…申し訳ありません…」
自分の仕事ぶりを暗に咎められていると取ったは、深々と頭を下げた。
ああ違うんだ、と後藤がそれを制する。
「ウチは確かに小さなクラブだけど、入って日の浅い人が古参社員よりも働いているというのは、おかしいというか…その、上の指導を見直すべきところであって」
戸惑いがちに黙って話を聞くに、後藤は出来るだけ穏やかな調子で、だから、と続けた。
「チェックしてなかったこちらの不手際でもあるし。とにかく今後は、部署全体の仕事配分を見直させるようにするから」
今月のような残業は多分、今後は余程でない限りないと思う、と後藤が言う。
「…後藤さん。あの、それって」
「ああ」
の聞きたいことを察したのか、後藤が苦笑する。
「有里ちゃんに怒られちゃってね。いや、重ね重ね面目ない」
「いえ、そんな」
慌てて手を振るに、後藤はとにかく、と言葉を続けた。
「こちらでも出来るだけ気をつけるから、もしまた今回のようなことがあったら、そちらからも遠慮なく相談して」
何がどうなっているのかよく分からないまま、はとりあえず、後藤の言葉に了解の意を示し退出した。
「ほら」
そう言って、堺が菫色の布に包まれた弁当箱を差し出してきたのは、翌日のことだった。
ジュニア練習場前のベンチ。周りには人影は殆どない。
のお気に入りの食事スペースだ。
彼女は正に今から近所のコンビニへ赴こうとしていたところで、そこでジャストタイミング宜しく堺に呼び止められた。
「えっと…これ、は?」
「弁当」
戸惑うの問いに簡潔に答えると、堺はベンチに腰を下ろした。
もう片方の手で持っていた、紺色の巾着に入った弁当を広げ始める。
「…あの…」
「早く食わないと、また食いそびれるぞ」
の方を向きもせず、堺は自分の弁当箱の蓋を開け、箸を持って軽く手を合わせた。
「こ、れ…私に?」
「他に誰がいるんだよ」
「え、でも」
「一人分も二人分も手間変わらねえんだよ。いいからさっさと食え」
「は、はい」
少し苛ついた響きの堺の声に、はようやく腰を下ろし、渡された弁当を広げた。
「………わあ」
それは、見事な出来栄えだった。
手作りであろうことは見て分かるのだが、先ず詰め方が素晴らしい。
幼稚園の子供に母親が作ったかのような、彩り豊かなおかずの数々、俵型に小さく握られた握り飯、ウインナーはタコやカニの形に、付け合わせのプチトマトも色鮮やかで、うずらの卵までが詰められている。
それでいて、栄養バランスを考慮したメニューチョイスなのは、自炊しているには見た瞬間に分かることだ。
二段重ねの可愛らしい弁当箱からそれを包む布の色合いまでが、明らかに女性用に用意されたことも見て取れて、は思わず感嘆の声を上げた。
「これ、堺さんが?」
「他に誰がいるんだよ」
先ほどと同じ返答に、の顔が花が咲いたように綻んだ。
「すごい!これ本当に私が食べていいんですか!?」
「だからそう言ってるだろうが。早く食え」
はしゃぐばかりのに業を煮やしたのか、最後には彼女のこめかみをぐりぐりと軽く痛む程度の強さで押し、堺はホラ、と添えられたフォークを顎でしゃくった。
「…い、いただきます…!」
「はい、どうぞ」
ようやく堺手製の弁当に手をつけ始めたは、一口食べるごとに、口には出さないものの表情を、それはもうこれ以上ない幸せとでも言うように一々綻ばせた。
堺は横目でその様子を盗み見つつ、黙々と自分の弁当を平らげていった。
「ごちそうさまでした…!」
「はい、お粗末さまでした」
満面の笑みで手を合わせるに淡々と堺が応じると、ホントにすっごくおいしかったです!とは堺の方へ身を乗り出す勢いで力説した。
「わかったから、とりあえず落ち着け」
「あ、は、はい」
冷静に指摘され、姿勢を戻して弁当箱を大切そうに抱き締める。
昨日、の仕事量について提言しに行った際、ついでに有里から彼女の食の好みを聞き出しておいて正解だった、と堺は心の中で頷いた。
「堺さん」
が、微笑みを浮かべて堺を見ている。
何、と返すと、彼女は深々と頭を下げた。
「本当に、ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」
そう言って、再び顔を上げた彼女は、これ以上ないくらいの笑顔だった。
「─…口に合ったなら何より」
内心のあれこれを押し込めて、堺はそれだけを口にする。
と、がじっと堺の顔を見つめるものだから、何だ、と再び堺は聞き返す。
「あの、何かお礼を」
「あー、いい、いい」
「でも」
「別にそういうつもりでやったんじゃねえし」
「けど、こんな素敵なお弁当頂いて何もお返ししないなんて…」
出来ません、と続けようとしたの言葉を遮って、堺がじゃあ、とを横目で見た。
「肩、揉んで」
「え?」
「凝ってんだよ」
「あ、はい…」
戸惑いつつも、背後に回り、は堺の肩にそっと両手を置いた。
「あー、そこそこ」
堺が、相変わらずの淡々とした調子で言う。
もうちょい右、とか首の周りも、とか適度に指示を出されつつ、予鈴が鳴るまでのマッサージは続いた。
「さて、そろそろ行くか」
立ち上がった堺が、の方へ手を差し出す。
「?」
「弁当箱。返して」
素っ気なく補足すると、は首を横に振った。
「洗って返しますから」
堺の眉が顰められる。
「いいから寄越せ」
「あ」
ひったくるように、の手から菫色の布に包まれた弁当箱を取り返す。
「堺さん…」
「持って行かれたら、明日作れねえだろ」
「え」
「じゃ。そろそろ練習行くから」
が何事か言い返す間もなく、堺は片手を振って更衣室の方へと歩いて行く。
「………私も、戻らなきゃ」
お礼どうしよう、と考えを巡らせつつ、は事務棟の方へ小走りに駆けた。
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120204