ギイ、と音を立てて屋上の扉が開く。
振り向けば、私服姿の丹波が、を見て片手を上げた。





ホーム&アウェイ





「丹波さん」
フェンスに寄りかかってコートの方を眺めていたは、背筋を正して軽く頭を下げた。
「ははっ。そんな畏まるなよ、ちゃん」
丹波が軽く笑ってそれを制する。
「今から上がりですか?」
丹波の格好を見たが問う。
うん、と丹波が笑顔で頷く。
「お疲れ様です」
言って、また頭を下げる
丹波は苦笑して、の隣まで歩み寄った。
ぽん、とごく軽い動作で、華奢な肩を叩く。
が顔を上げた。
「そういうそっちは休憩?」
問うと、ハイ、と返事が返ってくる。
「丹波さんは、どうしたんですか?」
が問い返すと、丹波は軽く笑って、
「下から見えたからさ」
何してんのかなって思って。と、首を傾げて彼女の目を覗き込んだ。
彼女の手には、いちご牛乳のパック。
丹波との目線が合う。
は、丹波の次の行動を待っているようだった。
ピンと伸ばした背筋、キリと結ばれた唇、じいと見つめる真っ直ぐな瞳、まだ若干固い、微笑。

「よっ…と」
丹波が、フェンスに背をもたせかける。
の視線が、その動作を追う。
丹波は、そんなに視線を合わせて、ふっと笑みを零した。

「まだ、アウェー感ある?」

ふいに、発せられた問い。
は、一瞬目を見開き、少しだけ彷徨わせるようにして、そんなことは、と口を開きかけた。
「あって当然だと思うぜ?」
丹波が口を挟む。
は、ぱちくりと瞬きをした。
丹波が、苦笑気味に笑う。
「ここ来て、ひと月くらいになるっけ?」
「あ…はい」
控えめに、が首肯する。
そうだよなー、と丹波が空を仰ぐ。
「俺らもさ、アウェーゲームのときなんか、あるもんな。やっぱり」
「…アウェー感、ですか?」
「そ」
丹波が軽く肯定する。
「選手同士はどうっつーことはないんだけどね。スタジアムの雰囲気全体が、もう」
はー、と、が丹波の言葉に聞き入る。
「ブーイングなんかはまだマシな方。うっかり向こうの空気に飲まれちまうと、野次とかが一個一個聞こえたり」
「…聞こえるものなんですか?」
「まーな。全部じゃないけど、やっぱあるなあ」
驚いた表情のに、丹波が嘆息しつつ答える。
「─丹波さんくらいのベテランでも…?」
が、控えめに問う。
「そりゃそうだよ」
当然のことのように、丹波が言う。
「…って、威張って言うことじゃねえけど」
そう言って、ニカっと笑う。

「野次と言えば、すごかったのがさ」
丹波が、記憶を思い出すように宙を見ながら話す。
はその横顔をじっと見つめた。
「これは、ウチのサポの話なんだけど。いつだったか、コシさんがシュート外した時だったかな。村越コールとか応援の声に混じって、『村越コノヤロー、若い嫁さん貰いやがってー』って」
「……ふっ」
思わず、が笑いを零す。
「それ、試合関係ねえじゃん?しかもコシさんが結婚したのなんて、それよりずっと前の話だし。何で今更だよとか、応援か野次かもよく分かんねえし、ツッコミどころしかなくて」
「…ふふっは、あははっ」
が、堪え切れずに笑い声を上げる。

「笑った顔、初めて見たな」

目を細めてこちらを見る丹波の視線に気づき、は慌てて口を閉じた。
恥ずかしさで、頬がほんのりと熱い。
「それでいーんだよ」
ポン、と丹波の手が、の頭に乗せられる。
「笠さんもいつも言ってんじゃん。笑ってりゃいーんだって」
わしわしと、丹波の手がの髪をかき混ぜる。
「た、丹波さん」
「何だよ、ちゃん」
身をよじれば、何でもないことのように問いが返ってくる。
「こ、子供みたいな扱いはちょっと」
困ったように見上げれば、ええ?という不服そうな声が降ってくる。
「いやー何かちゃん見てると、こう…妹が出来たみたいでさ」
丹波お兄さんって呼んでいいんだぜ?と笑う丹波。
あの、とが控えめに声を上げた。
「…私、同い年なんです……けど」
「へ?」
「─だから、その。丹波さんと私、歳同じです」

「………」
「─…」
沈黙が流れる。
の頭に置かれた丹波の手は、そのまま動きを止めていて。
「─……マジで?」
「はい」
が頷く。
丹波は二、三度、瞬きをして。
「嘘だァ!見えねー!!」
「ちょ、丹波さん、そんな大声で」
慌てて止めるに、だって、と丹波が驚いた表情のまま言う。
「有里より上なのは知ってたけど。せいぜい20半ばくらいだと」
「……あの、それはちょっと、流石に…」
恥ずかしさに俯く
丹波はひとしきり信じらんねー、などと騒いだ後、ふと息を吐いて、
「─まあ、いっか。歳とかどうでも」
そう言って、またの頭を撫でた。
割と良くないですよ?と
いーじゃんいーじゃん、と丹波が笑う。
釣られて、も苦笑した。

「──私」
やがて、ようやく丹波の手から逃れたが、丹波に並ぶようにフェンスに背を預けて。
「ちょっと、肩に力入ってたかも知れません。早く慣れなきゃって」
そう言って、少し眉を下げて丹波に笑いかけた。
「そりゃ無理もねーだろなー」
「──でも」
うんうん、と頷く丹波に、がぽつりと言葉を続ける。
「…私。ここの…ETUの空気は、結構好きです」

そう言ったの横顔は、穏やかな微笑に包まれていて。
「──なら」
よっ、と掛け声と共に、丹波がフェンスから身体を離す。
「きっともうすぐだ。ここがちゃんのホームになるのは」
の正面に回り込んだ丹波が、再びくしゃくしゃとの頭を撫でた。







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ウチの丹さんはお兄さんポジションです。
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