「よっ」
高級そうなスーツに身を包んだその人は、私がよく─それはもう、よく─知る顔で。
「丹波聡さん、サッカー選手なのよ。って、知ってるわよねえ、ふふ」
可笑しそうに私の肩を軽く叩く伯母さんに戸惑いを隠せず、正面の男性をもう一度見ると、彼はぺこりと頭を下げて、
「丹波聡です、初めまして。今日はどうぞよろしく」
「初めまして、です…って、そうじゃなくて!」
お約束のやり取りに、思わずノリツッコミしてしまった自分が少しだけ、憎い。
お見合いパニック
いい歳、と自分でも思うものの、ないものはない訳でどうしようもなく。
結婚願望、という持ち合わせのない感情を、けれど無理やりでっち上げる必要に駆られた理由は、義理の二文字に集結する。
『先方の顔を潰す訳にはいかないの。来てくれるだけでいいから、お願い出来ない?もちろん、合わないわーと思ったら、お断りは全然構わないから』
伯母の趣味の一つに見合いの仲人というものがあるのは昔から知ってはいたから、いつかこんな日が来るんじゃないかとは思っていた。
─少々、急ではあったけれど。
伯母の話を総合すると、こうだった。
元々その見合いの席に行く筈だったどこぞの娘さんから、のっぴきならない事情とやらでキャンセルされた。
さてどうしたものか、というところに、そういえば年頃というかもうそろそろいい歳と言っていい心当たりがあったではないか。
─私のことである。
伯母の言い分を聞く限りでは、今回の見合いは成立不成立よりも、互いの面子が勝る話らしい。
合コンとかでよくある“人数合わせ”ってやつだろう。と私は勝手に解釈した。
さて、そこまで説明されては、決まった相手もおらずフラフラしている自分に、恩のある相手の頼みを断る理由など見つかる筈もなく。
まあそういうことなら、と引き受けたのが10日ほど前。
それが─いざ蓋を開けてみると、これはどうしたことか。というか、何が起こっているのでしょう?
「ごめんな、ビックリしたろ?」
そう言って悪びれず笑う丹波さんは、着ているものから目を逸らせば正真正銘、私の知ってるいつもの丹波さん。
その笑顔に一瞬ホッとして、諸々の疑問を先ず棚上げしてしまったのは、きっと相手がこの人だからだ。
後は若いお二人で、などと常套句を言って喫茶店に引き上げた伯母さんたちを前にポカンとしていると、丹波さんが苦笑しながら庭へと手を引いてくれた。
よく手入れされた庭に見入るよりも先ず、この状況が気になって仕方なかったのだけれど、先ず口をついて出たのは挨拶代わりの言葉だった。
「スーツ、似合ってますね」
遠征のときとはまた違うスーツ姿に正直な感想を言うと、満更でもなさそうな顔で丹波さんが笑う。
「おっ、惚れ直しちゃった?」
「サイトに載せてもらえば、女子サポ増えると思いますよ」
軽口をいつもの調子で受け流せば、どうしたのか丹波さんは、そうじゃなくってさー、と後ろ頭を掻いた。
「……?」
何だか、ほんの少し…だけど、いつもと様子が違う…ような気が、する。
「……丹波さん?」
肝心なことを聞くのもつい忘れ、隣に立つ丹波さんの顔を覗き込む。
「ん?」
こちらを向いた表情はよく知るそれで…でも、何か、違和感…が。
じっと合った目を見つめていると、丹波さんがふっと笑みを零して、私の頭へ手を伸ばした。
「丹さんの魅力が分かるなんて、ちゃんはホント、いい子だなー。よしよし」
「た、丹波さん、私一応今日、頭セットしてるんですけ、ど」
普段よく行われるその行動に控えめに反論してみるが、お見通しだったらしく、丹波さんの手は私の頭を、崩さないようにポンポンと軽く撫でた。
「見りゃ分かるって。お洒落してきたんだなー。可愛いぜ」
ニッと笑う丹波さんに、これですか?とワンピースの裾を摘んでみせる。
何年か前に必要に駆られて購入して、それっきり箪笥の肥やしになりかけていた、私の一張羅。
「もちろん服もだけど」
丹波さんは、少しだけ真面目っぽい顔になって、こちらを見下ろす。
一瞬心臓が跳ねた理由を探す間もなく、
「ちゃんが可愛い」
顔が、熱くなった。
似たような言葉は日常茶飯事に言われているのに、今のは、なんか、ちょっと…
気まずいのに目を逸らすことも出来なくて、目線を固定したまま固まっていると、丹波さんは、いつも優しいけど、それとはまた違う、見たことないような優しい顔で、こちらを見ていた。
─言葉が、見つからない。
聞かなきゃいけないことがあった筈なのに、頭の中は丹波さんの笑顔と言葉でいっぱいになってしまった。
あれ?私、どうして─
ぐるぐるしてしまった私の脳に追い打ちをかけるように、丹波さんが、改まったようにこちらに向き直った。
「──…、ちゃん」
少しの間、言葉を探すような素振りをした丹波さんは、ピッチにいるときみたいな真剣な顔で、私の名を呼んだ。
「……はい」
掠れた声で、かろうじて返事をする。
左手に、温かいものが触れた。
それが丹波さんの手だ、と気付くのに少しかかった。
丹波さんの手は、そのまま、私の手をそっと、包むように優しく握った。
次に耳に飛び込んで来たのは、生で聞くのは初めての台詞だった。
「俺と、結婚を前提にお付き合いしてください」
+++
というわけで丹さんです。
続きますので、良ければゆるゆるとお付き合いを。
121022