「最近、明らかに様子おかしかったからね。丹波も気にしてたみたいだし」
クラブハウスから徒歩で程ない喫茶店。
アンティーク調の店内に、静かなジャズの音色が流れている。
何故屋上に、というの問いに、緑川はブラックコーヒーを一口啜って、何でもないことのように冒頭の台詞を答えた。
「丹波さん…も…?」
意外な一言に、が反応する。
緑川はうん、と頷いて、少しだけ人の悪い笑みを浮かべた。
「嫌われたかなー、焦りすぎたかなって」
「そんなこと言ってたんですか!?」
「顔に書いてあった」
驚いて思わず声を上げたに、緑川はくすりと笑みを零して続けた。
ほ、との肩から少しだけ力が抜ける。

先日の見合いの件は、クラブハウスでは有里以外に知る者はまだ、いない筈だ。
丹波が誰にも話していなければ、だが、あの日の丹波の様子からして、冗談や悪戯でないことは流石のにも理解出来た。─心臓が飛び出るほど、驚きはしたが。
丹波は、普段から軽い調子の人物ではあるが、その実、本当に大切な事柄に関してはいい加減な態度は決して取らない。
それは、それなりの期間、彼と比較的近くで接してきた(と自分では思う)には当然の事実である。

もう一度緑川を見れば、いつもと変わらぬ微笑みを浮かべている。
自分と緑川はそう歳は変わらない。けれど、彼は自分などよりずっと大人だ、とは思う。
勿論、が何か打ち明けたわけではない。有里も言い触らすような真似は決してしないだろう。(見合いの後、心配して様子を聞きに来てはくれたが)
丹波も、先述の理由から、誰かに話したとは考え難い。
つまり彼は、丹波とのこの数日の様子を見て、自分で先程の判断に至ったのだ。

「─緑川さんって、よく見てますよね。周りのこと」
感心の意を込めてぽつりと呟くと、緑川は少し眉を下げて笑った。
「まあ…職業柄っていうのか?もっとも、今回の件については、俺じゃなくても気付いた奴はいるだろうけど」
「えっ!そ、そうです…か?」
がばりと顔を上げたに、緑川が苦笑する。
「細かい事情まではどうか分からないけど。──少し、不器用だよな。二人とも」
「───…」
答える言葉が見つからず、は紅茶を一口啜った。

出来るだけ、普段通りに接しよう、と思いながらこの数日間を過ごしていた。
それは多分丹波も同じで、少なくとも表面上は、何でもない顔をしていつも通りに近いやり取りをしていた、つもりだった。
けれど、一度気にしてしまったものはどうにもならず、─例えばふとしたボディタッチ。例えば、普段話すときの顔の距離。
ちょっとしたことで一々少女のように意識してしまい、器用に立ち回れなかったのは多分、自分の方だ─とは反省した。



「丹波が好き?」



投げ掛けられた質問を耳が脳に伝えるのに、少しタイムラグがあった。
「──…ッ!!」
瞬間湯沸器のように赤くなったに反して、緑川は相変わらず飄々とした表情で寛いでいる。
「………あ……の」
呼吸を必死に整えているのを悟られないように、慎重に一音ずつ、が言葉を発する。
そんな彼女の様子を、穏やかな瞳で緑川が見つめる。
「──…私…」
やがて、目線を少し下に落としたが、普段とまるで異なる細い、それでもよく通る声で、正直言うと、と続けた。

「……わからないんです。情けない話…ですけど。そういう、風に、考えたこと…なく、って」

数秒間の沈黙を、店内の控えめな様々な音が攫っていった。
膝の上で両の拳をぎゅ、と握ったが、再び口を開いた。
「あれから、毎日…考えてて」

「丹波のことを、毎日?」
主語も目的語もない呟きを、緑川が補足した。
一瞬の逡巡の後、こくり、とが頷く。
でも、との唇だけが動く。
緑川はその様子をじっと見つめた後、コトリとカップをソーサーに置いた。

「それは、考えるというよりも─『決める』ことだと思うよ」

が顔を上げた。
「……決める…?」
そう、と緑川が頷く。
ちゃんが。決めることなんじゃないかな」

しばし、途方に暮れたような顔では緑川の方を見ていた。
ただ、脳裏には─ここにはいない人物の顔が、強く浮かんでいた。







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救いの手は、大きな手だった。
ドリさんは、こういう相談相手にとても向いていそうなイメージ。
まだ続きます。あと少し。
121025