「おはようございます、達海さん」
「んー、おはよ。早いね」
まだ寝ぼけ眼の達海に挨拶すると、間延びした返事が返ってきた。
貴方がこの時間を指定したんじゃないですか、という言葉をすんでで飲み込んで、は小さく苦笑した。





監督のお礼





「こっちこっち」
タマゴサンドと牛乳を腹に入れ、歯磨きを済ませた達海が、廊下をさくさくと先導する。
ついていくとそこは大会議室で、部屋の一番前には投影用のスクリーンが降ろされていた。
窓はブラインドがかかっており、部屋の照明は落とされている。
入り口のドアも閉められた状態で、午前中とはいえ、ほぼ完全に光が遮断されたことになる。
「えーと、これをここに……あ、座って」
ディスクをパソコンにセットしながら達海が促す。
は達海の近く、正面からスクリーンが見える位置に腰を下ろした。

休日出勤を命じられたものの、用事の内容は『当日説明する』の一点張りで、まだ聞かされていなかった。
は小さく息を吐くと、背筋を伸ばして達海の用意した映像が流れるのを待った。


「よし、これでオッケー…と。お、映った映った」
「──…監督、これって」
スクリーンに映像が映ったのを確認すると、達海は満足気に笑って、の隣の椅子に腰掛けた。
映像を見たが思わず達海を見る。
真っ白な大スクリーンに映っていたのは、映画のフィルムだった。
「いーから。最後まで見ろって」
─しかも、その映画は。
は更に何事か言おうとしたが、達海は既にスクリーンに見入っており、諦めて同じように前を向いた。

劇中では、各々様々な特技を持つ10人強の登場人物が、その技と才知で大きなヤマ─分かりやすく言えば犯罪なのだが─を成し遂げる、という、アウトロー達の痛快な物語が繰り広げられていた。
「─この俳優ってさ」
「…はい?」
達海が、気だるそうにスクリーンの中央を指差した。
主人公の相棒が、計画について説明をしているシーンだ。
「なんか、変な顔してるよね」
「え?」
言われて、もスクリーンに視線を戻す。
彼女も知っている有名なハリウッドスターだが、言われてみれば特徴的な顔立ちと言えなくもない。
「こいつ、顔で役に選ばれたのかな。つうか、そうなんじゃないかと俺は思うんだけど」
飄々とした調子で、達海が椅子を前後に揺らしながら淡々と言う。
はもう一度俳優の顔を見、達海の方へ視線を戻し、
「─……ふっ…」
思わず、噴き出してしまった。
「な?そう思うだろ?」
「ちょ、やめて下さいよ、真面目なシーンなのに…監督がそう言うから、そうとしか見れなくなっちゃうじゃないですか」
「えー、だって実際そうじゃん」
「だから…あははっ」
耐え切れず、が笑い声を上げる。
お、と達海がそれに反応した。
「─…?何してるんですか」
「いや。貴重な笑い顔をこう、収めとこうかなと」
両手でカメラのファインダーの真似をして、片目を瞑って覗き込んだ達海が言う。
やめて下さい、とは軽く苦笑した。




「はー。中々面白かったな」
スタッフロールが流れだすと、達海は軽く伸びをして欠伸を漏らした。
「達海さんが途中で変なこと言うから、別の意味でも面白かったですけど」
が笑顔で返すと、いやあれは絶対そうだって。と達海は無意味に力説した。
「えっと…それで」
「ん?」
「どうして、これを?」
スクリーンを指差して問う
達海は2,3度瞬きをして、
「あれ?お前がこれ見たがってるって聞いたんだけど…違った?」
などという、ずれた回答を返してきた。
「え…っと…」
思わずじい、と達海を見つめる
「確かにそうですけど…それが…?」
困惑するを横目で見て、達海は目を細め微笑むと、よ。と掛け声と共に立ち上がった。

「こないださ」
窓のブラインドを一枚、一枚開けて行きながら、達海がゆったりと話す。
「仕事、遅くまでやってもらったじゃん」
それが先日の残業の件だと気づき、はハイと返事した。
達海が、ブラインドを上げた窓を背に、の方へ振り返った。
「お礼」
「え?」
思わず、間の抜けた声を上げてしまう
達海が、の元まで歩いて戻ってきた。
「家のテレビやパソコンで見るより、折角なら大画面の方がいいだろ?」
見下ろして笑う達海に、はようやく達海の意図を理解した。

「あの、そんな気を遣って頂くようなことじゃ…」
「気遣ったんじゃなくて、おーれーい。ありがとってこと」
恐縮するに、達海が念を押すように答える。
「…じゃあ、今日の休出は…?」
「ん?ああ」
そういやそういう扱いにしたんだっけ、と達海が首を軽く捻った。
「休みの日に、用もないのにクラブハウスに来させる訳にもいかないでしょ」
まあ方便ってやつだねーと、悪びれもせずに言う達海。
「ちょ、そんなの、もしバレたら…」
「大丈ー夫。監督は王様だから」
慌てるに、達海は不敵に言い放ってニヒヒ、と笑った。
そういう問題じゃ、と口を開きかけたを、達海が腰を折って覗き込む。
「…あれ?あんまり嬉しくなかった?」
「─っ!!」
不意に顔を近づけられたものだから、の心臓が一瞬跳ねる。
んー?と、首を捻りつつの様子を伺う達海。
は、少し俯いて、「……あの」と、か細い声を出した。
どうした?と言う達海の声に、上げたの顔は、ほんのりと紅くなっていて。
「し、質問にお答えするなら……その、すごく嬉しかった、です。ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げる
「そっか。そりゃ良かった」
ニヒー、と達海が笑う。



そうして、機材やら明らかに近所のレンタルショップで借りてきたであろうDVDを片付けると、達海が空腹を訴えた。
見ればもう昼を回っており、はちょっと待って下さいね、と自身の鞄から大きな包みとペットボトル2本を取り出した。
「今日は食堂やってないから用意してきたんですけど、良かったら」
包みを解くと、何種類かの具を挟んだサンドイッチが現れた。
「おー。何、これお前が作ったの?」
弾んだ声を上げる達海。
どうぞ、とはお茶のペットボトルと共に促した。
「…タマゴサンド、多いね」
サンドイッチの全体を見て、達海が言う。
「達海さんが好きだって聞いたので…でも、朝食べてたから被っちゃいましたね」
「いやいいよ。美味いモンは飽きないし」
苦笑するにさらりと達海は返し、タマゴサンドに手を伸ばした。
塩加減どうですか?と聞くと、うまいうまい、と達海は大雑把だが恐らく喜んでいると思われる声で感想を述べた。
「ところでこれさ、やけに多いけど」
ハムサンドに手を伸ばしながら、達海が言う。
「もしかして、俺の分も入ってんの?」
何を今更、とが苦笑する。
「もし達海さんがお昼用意してたら、半分は晩ご飯にでもするつもりだったんですけど」
言って、はペットボトルに口をつけた。
ってさ」
「はい?」
気づくと、達海が頬杖をついてこちらを見ており。
向き直って首を傾げると、達海はじっとを見たまま、
「なんつーか、気が利くよな」
やはり淡々と、そう言った。
だといいんですけど、と答える

─そんなだから、こういうことしたくなるんだけどね。

DVDのケースを弄びながら、達海は声に出すともなく呟いた。








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120211