「さーん、ケ艾さん見なかった?」
客足のない昼下がり、通信屋の暖簾をくぐりながら声をかけてきたのは、小柄な天才軍師であった。
マッサージ
「今日は見えてませんけど、確か今は軍議の時間じゃないですか?」
は、昨日来店した魏軍軍師の漏らした言葉を記憶から引っ張り出した。
あーそうだったー、とのんびり答える竹中半兵衛も軍師の筈だが、同席如何についてはが口を挟むべきところではないので流し、代わりに、ケ艾さんが何か、と尋ねてみる。
ああ、と半兵衛の丸い瞳がこちらを向く。
「肩揉んで貰おうと思ってさ」
首を左右に捻りながら、肩をぐるんと回す半兵衛。
「凝ってるんですか?」
「もう、バッキバキ」
聞いてみると、うんざりしたような声音が返ってきた。
ふむ、とは一度瞬きをし。
「私で良ければ、少し揉みましょうか?」
半兵衛の双眸が、ぱちくりと閉じて開かれた。
「え、いやー…」
珍しくはっきりしない物言いに首を傾げると、半兵衛は済まなさそうに苦笑した。
「俺のホント酷いからさ。女の人の細腕じゃキツイと思うんだ」
なるほど、と納得し、はしかしあっさりとした笑みを返す。
「マッサージは力だけじゃないですから。上手とは言えませんけど、少しは助けになると思いますよ?」
まっさーじ?と鸚鵡返しする半兵衛。
肩揉みのことです。とはさっくりと説明する。
ふうん、と鼻を鳴らしつつ、半兵衛が椅子に腰掛けた。
くるん、との方へ首だけが向く。
「じゃ、お願いしてみよっかなー」
悪戯っぽいいつもの笑みは、明らかに『物は試し』と語っていて。
「では、失礼して」
そっと、は半兵衛の肩に両手を置いた。
「様、少々よろしいでしょうか…あら…」
楚々と店に入ってきたかぐやは、目の前の光景を見ると軽く頭を下げた。
「半兵衛様がいらしたのですね。─あの…お加減が宜しくないのでしょうか…」
そう言ったかぐやの目線の先では、半兵衛が机に突っ伏してだらしなく目を閉じている。
あの、との方を伺ったかぐやにようやく気づいたようで、半兵衛が薄く片目を開けた。
「あー、違うんだかぐやさん。逆、逆」
ひらひらと片手を振るその表情は、かぐやが初めて見るほど緩んでいる。
「…逆、とは?」
小首を傾げるかぐや。は半兵衛を見下ろして、優しく微笑んでいる。
問われた半兵衛は、照れ臭そうにえっと、と言葉を探し、
「その、気持ちよくって、さ」
幸せそうに、またもへにゃりと頬を緩めた。
時は少し遡る。
「…うあ」
のマッサージは、即席効果を発揮するケ艾とは違い、力こそさして入れていないもののツボをじっくりと指圧する、時間をかけて全体を揉みほぐすやり方だった。
無論、肩こり持ちの半兵衛はこういった指圧を受けたことがない訳ではない。
が、その道の習熟者かと思わずにはいられないその手腕に、思わず漏れる声の合間に半兵衛は問うた。
「さん、て、元の世界で、は…按摩師だった、んだ、っけ?」
いいえ、とマッサージの手を止めることなくが涼やかに答える。
「効いてますか?」
「うん、びっくり…し、た」
満足そうにが微笑んだのが、背中越しにも感じ取れた。
「実は私も」
が、白状するように言った。
「半兵衛さんに負けず劣らずの、肩凝りなんです」
「通信屋の仕事って、そんなに肩凝るの?」
短い用事を終えたかぐやが帰った後も、半兵衛は店に留まっていた。今日の午後の彼は、自分的自由時間であった。とは後から聞いた彼の言である。
長椅子に寝そべった格好で、暇な店内を簡単に片付けているの背中に問い掛ける。
「もともと、血行不良の気はあるんですけど」
数枚の書類を集めつつ、が答える。
「基本、日がな椅子に座って水晶とにらめっこしてる訳ですから」
彼女の目線の先を追って、大きな円鏡をぼんやりと見やりつつ、半兵衛はなるほどと納得をした。
そんな半兵衛の様子を眺めながら、はふと、生まれ育った世界のことを思い出す。
戦う力を持たない彼女は、通信屋としてこの異世界で暮らしている。
そこには、人間には扱う術のない筈の通信鏡の大まかな仕組みをいち早く把握してみせたために、仙人らにスカウトされた、という経緯があった。
三国、戦国世界の武将らは皆一様に驚き、また感心したが、にとってはそう驚愕に値することでもない。
仙界の通信鏡は、が元いた世界の機械とは構造も仕組みも異なるものの、通信手段という大きな括りではそう大差はない。
そして、必然的に、デスクワークという大雑把な括りでも、己の経験を活かせる職場ではあった。
「じゃあさんが肩揉み上手なのは、自分で自分の肩揉んでるからってこと?」
頭の後ろで腕を組んだ半兵衛が、こちらを見上げてくる。
「今もまあ、ですけど。元いた世界でも、半兵衛さんにとってのケ艾さんみたいな人がいなかったもので」
独り身の切なさを自重気味に告白する。
「器用だよねえ」
感心したように言う半兵衛を見て、そうだ、との口をついて言葉が出た。
「私も今度、お暇なときを見計らって、ケ艾さんにお願いしてみようかなあ」
それは、ほんの軽い気持ちでついて出た言葉だった。
が、半兵衛はそれを聞くと、ふと思案気な表情になり、口を閉ざしてむう、と唸ってしまった。
「ああ、半兵衛さんの方が終わって、それでも手すきの時とかでいいので」
は付け加えつつ、本人に了解を取った訳でもないのだが、と胸中で苦笑する。
「…いや」
半兵衛が、やや真面目な声音を上げた。
次に、にっと笑顔になり、
「今日のお礼。俺、人の肩って揉んだことないんだけどさ、ちょっと覚えてみるよ」
「え?」
反射的に聞き返すと。
「俺が揉んであげるよ。さんの肩」
にこにこと上機嫌な顔で、半兵衛が答える。
「だ・か・ら」
思わぬ申し出に一瞬呆気に取られたの目の前に、軽やかに身体を起こした半兵衛がぴょん、と飛び降りた。
人差し指を、の鼻先に突き出す。
「ケ艾さんに頼む前に、俺に言ってね?」
「え?あの」
「約束だよ?」
無理矢理に指を絡める半兵衛。
が何かを言うより早く、
「質問は受け付けませーん。苦情は俺の腕が下手だったときに。了解?」
「あ、は…は、い」
上目遣いに覗き込むようにして言葉を継がれ、半ば勢いに押される形で、は頷いた。
それを見て、半兵衛が満足気に笑う。
「はい、指切ーった。んじゃ、そういうことで。今日はありがと。お礼は後日!まったねー」
急に早口になったのは、店先に黒田官兵衛の姿を見止めたからだろう。
一方的な指切りを済ませると、半兵衛は礼の言葉と共に、すっきりとした顔で手を振りながら、店を出ていった。
はそれを呆然と見送る他なかったが、あの人が喜んでくれたのならいいか、と自己満足を胸に店の片付けに戻った。
+++
肩が凝って辛いときに書きました。
私もケ艾さんに力いっぱい揉んで貰いたい…
111227