頭では分かっていても、どうしても駄目なことというのは、確かにある。
想い
長椅子に寝そべった半兵衛から、上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。
「半兵衛さん、ご機嫌そうですね」
「え?ああ」
指摘されて初めて気がついたとでも言うように、半兵衛がぱっと己の口元を覆った。
その様を見て、くすくすとが笑みを零す。
半兵衛は、首だけをの方へ向けた。
「ほら、最近俺って出陣多いじゃない?」
そう答えた顔は、心からの喜びに満ちていて。
「やっぱり、嬉しいものなんですか?」
戦とはあまり縁のない生活を送ってきたは、そう問うてみる。
そりゃね、と半兵衛が答える。
「俺、死ぬなら戦陣の最中がいいし」
風が入り込んだ訳でもないのに、場の空気が冷たさを帯びた。
「…さん?」
思わず名を呼んだのは、彼女の顔が、
今にも泣きそうに見えたから。
「───…」
は何か言おうとした。
が、上手く音に乗って言葉が出ない。
何より、
何か一言でも発すれば、涙が溢れてしまいそうだった。
半兵衛の言ったことは、なんとなくではあるが分かる。
平和ボケしていた自分とは価値観も環境も全く異なる世界で生きてきたのだ。
死というものへの考え方も、異なって然るべきだ。
─でも、だからこそ。
は、陣全体の首尾としては順調とは言え、その裏で散っていった幾つもの命を思い返した。
言葉を交わしたことのあるものも、一緒に食事をしたものも、その中にはあった。
目の前の軍師を見る。
あどけなさの残る顔が、不思議そうに自分を見上げている。
知らず、ぎゅっと拳を握っていた。
そっと。
握った拳に触れたのは、半兵衛の両手だった。
「………」
思わず見つめると、にこりとその顔が笑った。
「手、冷たくなってるね」
温めるように、柔らかくその両手に包まれた。
は、彼の指先の動きをじっと見つめ、そして
「───…死なないで、ください」
気づいたときには、それは音となって発せられていた。
寝たままの半兵衛の瞳が、の目元へと注がれる。
今自分がどんな顔をしているのか、には分からなかった。
やがて。
半兵衛の掌に包まれていたの手が、そのまま、緩やかに半兵衛の身体の方へと引き寄せられた。
「─さん」
いつもより少し低い、だがとても落ち着く響きの半兵衛の声が、の掌を通して伝わる。
「わかる?」
そして、もう一つ。
規則的なリズムを刻む命の音が、の掌に響いている。
半兵衛が、にっこりと微笑んだ。
「俺、ちゃんと生きてるでしょ」
そう言って、の手を取ったのと反対の手で、の後頭部に触れて、引き寄せる。
「幽霊じゃないですよー」
そのまま、半兵衛の手がの頭を優しく撫で、その指がの髪を梳いた。
「…半兵衛、さん」
ようやく搾り出した声は掠れていたが、さっきよりも固さが取れていた。
「うん。大丈夫だよ。だから」
あやすように、半兵衛の手がの頭を撫で続ける。
だから、そんな顔しないで?と。
少し困ったように眉を下げ、更にを引き寄せる。
つられて、の身体が屈み、膝を付く形になる。
間近に、半兵衛の顔があった。
そのまま、の頭は、半兵衛の胸へ押し付けられた。
「別にさ」
半兵衛の声が、胸板を通して響く。
「死にたがってる訳じゃ、全然ないから」
いつの間にか、頭部をそっとかき抱かれていることに気づく。
半兵衛は、その姿勢をやめる気配もなく。
何を否定する訳でも、約束する訳でもなかったけれど。
の肩から完全に力が抜けるまで、その行為は続いた。
「俺さあ、ホントは別に、戦で死にたい訳じゃないんだよね」
書簡に目を通しつつ半兵衛が言うと、知っている。と低い声が横から返ってきた。
「今更何を言っているのだ、卿は」
「ホントのホントは、妖蛇を倒して、この世界の乱もまるっと収めて、さ」
官兵衛の呆れ声には答えずに、半兵衛はなおも続ける。
そして、読み終わった書簡をくるくると巻戻しながら、
「寝て暮らせる世になるまで長生きしてー、そんで、お迎えが来るまで当たり前に生きて、それから死にたいよね」
言い終わると同時に、巻き終わった書簡をはい、と官兵衛に手渡す。
「巻き方が雑だ」
それだけ言うと、官兵衛は手早く紐を解き、几帳面に書簡を巻き直していく。
半兵衛は、次の書簡に目を通し始めている。
「──直接伝えれば良いものを」
ぼそり、と官兵衛が言った。
半兵衛が、そこで初めて官兵衛の方を向く。
「いやー、だってさあ」
照れ隠しをするように、頭の後ろを掻く。
「なんかこういうのって、約束とかしちゃうと叶わない感じがしない?言ったら満足しちゃうっていうか」
「それで、私には話すというのはどういった了見か」
「官兵衛殿はだって、言わなくてももう分かってるじゃない」
だから口に出してもいいのだと、およそ官兵衛には理解出来ぬ理屈を述べる半兵衛。
「どちらにせよ、迷信の類だ。気にかけるだけ無用というもの」
「味気ないなあ、官兵衛殿は。ま、だから話せるんだけど」
そういって、半兵衛は身体を畳に横たえた。
「今日はやけに精を出すと思えば、そういうからくりか」
「そ。あんな顔されちゃ、本気出さざるを得ないっていうか」
笑いながら答えると、ならばその身体を起こせ。と容赦無い返しがくる。
「はーいはい…っと」
いつもならばここで素直に聞かぬ半兵衛だが、意外にも機敏に身体を起こし、再び机に向き直った。
「こればっかりは、知らぬ顔なんて出来ないからね」
声はいつもの調子だったが、その目はじっと書に向けられていて。
「何にせよ、卿がやる気を出したのは重畳だ」
官兵衛は珍しい半兵衛の様子を一瞥し、一度だけ笑った。
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あの台詞聞いて、色々と考えてしまった次第。
オロチの半兵衛にはせめて長生きして欲しい…!
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