その日半兵衛が通信屋を訪れると、いつもの顔が見当たらなかった。
店主にそれとなく問うと、何でも体調が優れず伏せっているとのこと。
郭淮ではあるまいに、珍しいこともあるものだ、と。
手土産の茶菓子を持ったまま、半兵衛はの部屋へ向かった。
お願いだから
「さーん…?」
眠っていてはいけないと控えめに声をかけると、戸の向こうから小さな返事が返ってきた。
どうぞ、と促されたようなので、静かに戸を開け部屋の中へ入る。
布団を被って横になったままのは、顔半分だけを気だるげにこちらへ向けた。
「…半兵衛さん」
「こんにちは。お見舞いに来ちゃった」
にぱっと笑顔で傍へ寄る半兵衛。
「大丈夫?熱とかある?」
この数日は久しぶりにぽっかりと戦の予定が空いたのどかな時間であったから、普段張っていた気が抜けたのかと、の額に手を当ててみる。
ひんやりと心地良い。平熱低めの、いつものの体温。
風邪や流行病の類ではなさそうだった。
「すみません…何だか」
気落ちしたような声を搾り出すように謝る。
「うーん、謝ることは何もないんだけどさー」
半兵衛は腕組みをした後直ぐ解き、そのまま畳へ自身を横たえた。
と逆向きになる形で、顔をそちらへ向ける。
「………?」
きょとん、とした彼女の表情は、やはりどこか生気に欠けている。
半兵衛はそのまま、の髪に触れた。
「ねー、元気だそーよー」
少し拗ねたように言う。
は、申し訳なさそうに視線を彷徨わせた。
半兵衛は、むう、と一瞬だけ思案し、
「えい」
「…!?」
の頭を、逆さまに掻き抱いた。
「は、半兵衛さん?」
慌てる声は、大分普段の調子に戻ってきている。
半兵衛はそのまま、ぎゅうっとの顔を自分の胸へ押し付けた。
規則正しい鼓動が、の耳に響く。
その体勢が、しばらく続いた。
やがて。
「なんとなーく、だけどさ」
何でもないことのように切り出して、半兵衛はの頭を離した。
目と目が合う。
「俺、長生き出来ない気がするんだよね」
の目が、大きく見開かれた。
ああそんな顔しないでよ、と半兵衛は笑ってみせる。
変な意味じゃなくてさ、と。
「こう見えて割と病弱だし、不摂生だし」
「自覚があるなら、自愛して下さい」
発せられたの声には少し呆れの響きが混じっていて、やっぱこうじゃないと、と半兵衛は思う。
少しだけ咎めるような、そしてとても心配するようなを見て、半兵衛は、でもさ、と続ける。
「自愛して寿命引き伸ばすより、早死してもやりたいこと出来た方がいいかなって」
そう言って、に向けた笑顔は、毎日が楽しくて仕方ない、と言っているようで。
「どうせならさ、楽しく生きた方がいいじゃん?俺、したいことまだまだいーっぱいあるし」
美味しいもの食べたりー、綺麗な景色見たり。
指折りながら数える半兵衛。
「こうして、さんとお喋りしたり、さ」
本当に嬉しそうに、言うものだから。
先ほどまで沈み込んでいた気持ちが、少しずつほぐされていくようで。
「だから」
半兵衛が、の頬に触れる。
「一緒に、色んなことしよう?」
その顔は優しくて、でもどこか、おねだりをする子供っぽさを含んでいて。
「…そう言われたら、寝てる訳にはいかないじゃないですか」
彼のこういった顔には弱いのだ。
は身体を少し、布団から起こした。
だって、と半兵衛。
「寝ててもいいけど、寝てるの辛そうなんだもん」
は苦笑せざるを得ない。
こうも的確に、言い当てられてしまっては。
「それに、仮にだよ?」
半兵衛が、起きようとしていたの肩を押し戻す。
また逆さまに向かい合う形になって、半兵衛との目が合う。
「俺が早死するとしてさ。そんでその後に、寝て暮らせる世が来て。そのときさんが笑ってても、俺はそれを見られないわけじゃない」
やはり何でもないことのように、さらりと口に出す半兵衛。そして、
「そんなの、俺がつまんないよ」
そう言って、唇を尖らせる。
「つまんない、ですか?」
「うん。ものすっごくすーっごく、つまんない」
強調して言い放ち、更に足をばたつかせてつまーんーなーいー、とむくれてみせる半兵衛。
「わ、わかりました。わかりましたから」
慌てて、あやすようにが髪を撫でると、半兵衛は満足した猫のように大人しく瞳を閉じた。
「ね、さんに、お願いがあるんだけど」
開いた瞳は、丸いびいだまのようで。
吸い込まれそうになりつつも、はい何でしょう、と問うと。
「傍に居てよ。俺が生きてる間は、ずっと」
優しい笑顔で、竹中半兵衛はそう、言った。
それではプロポーズのようではないか、とが言葉を探していると。
「駄目?」
上目遣いに、ねだるように押してくる軍師。
「だ、めじゃ…ないです、けど」
「じゃ、居てくれる?」
半兵衛の顔が、ぱっと明るくなる。
えっと、とが言い淀んでいると、
「その代わりってわけじゃないけど、さんが生きてる間は、俺ずっと傍にいるからさ」
とんでもない告白を、されてしまった。
「……半兵衛さん、それは」
「んー?…やっぱ、駄目?」
「い、いえそういうわけじゃ」
「じゃ、いいのかな」
「……う」
それが、どういう意図で発せられた文字列であったとしても。
返答するのに勇気が要る類のものであることだけは確かで、は少しだけ、視線を彷徨わせた。
その間もずっと、天才軍師は彼女の顔を真っ直ぐ見つめていて。
次に目が合ったとき、はとうとう観念した。
「─……はい」
そう答えた彼女の顔には、いつもの柔らかな微笑が戻っていて。
「やったあ!じゃ、約束ー」
半兵衛は、頬を染めた彼女を、逆さまのまま思い切り抱き締めた。
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さんは、ホームシックか或いは別の何かで気落ちして塞ぎ込んでいた、という感じです。
120107