校門前の桜並木を一人歩く。
周囲は記念撮影や歓談にふける人々で溢れかえり、俺は、空気まで桜色に色づいたかのようなその空間に、少々あてられていた。
活力に溢れた人々の声が、文字列となって耳に入り込んでくる。
(─とにかく、あそこを出れば)
目眩を起こしそうになりつつも、入学式、の看板が立てられた校門を、校舎側から目指して歩く、歩く、歩く。
(─…もう、少し)
あと三歩、というところで伏せ気味だった顔を上げると、目の前に桜よりも鮮やかな色彩が飛び込んできた。

「─奉太郎くん!」

どん、と胸にぶつかったそれが、ぶわっと花弁を散らす。
俺の視界を、色とりどりの花が、埋め尽くした。

「なん、だ…?」
咄嗟に口をついたのは疑問符で、それに応えるかのように、花々の後ろから見知った顔がひょいと覗いた。
「わ、ごめん。ちょっと勢いつきすぎちゃった」
そう言って、あちらも少し驚いた顔を向けたのは、溢れんばかりの花束を抱えた、姉貴の友人だった。
「…さん…?」
分かっていながらつい確認を取ったのは、あまりにも唐突で脈絡のない再会だったから。
当の彼女はあどけなさの残る笑顔でうん、と頷いた後、持っていた花束をこちらへずいと差し出した。

「…何ですか、こ」
「高校入学おめでとう!」

問うた台詞は遮られ、満面の笑みでさんは言った。
校門の真ん前、桜並木の下、恐らく今日この日この敷地内で人通りの最も多い、この場所で。
両手に抱えるほどの花束を差し出しながら、よく通る声で。

「──…」
目線だけを素早く、周囲に巡らす。
幸いにも、周囲の視線を総集め、などという事態は避けられた。
内心でホっと息をつく。
それはそうだ、皆それぞれに自分のことで忙しい。
なら、どうする?
校門まであと三歩。
考えろ俺、一刻も早くこの場を収めて帰路に着く最短の選択肢を。

「奉太郎くん?」
だがそんな俺の密かな企ては、澄んだ声に遮られてしまう。
さんは花束をこちらへ差し出したまま、不思議そうに首を傾げている。

花なんてガラじゃないし、ましてこんな、結婚式でも挙げるのかと言わんばかりの見事な花を抱えて歩くなんて、心底御免被りたい。
そもそも何でこの人はここに居るのだろうという疑問は当然ながら一番初めに湧いたが、それを問い質すエネルギー消費量を考えて即座に頭から追い出した。
ともかくも、“何故”かは知らないが、この人は、『友人の弟』という関係である俺の高校入学を祝いに、わざわざ足を運んだ。これは確かだろう。
とすれば。
目の前の“これ”をそれとなく拒み続けるのは、それこそ省エネに反する、わけで。

「何だって、こんな」
俺は、彼女の手からそっと花束を受け取ると、諸々の思いを一言に乗せて発した。
「何って」
さんは、一回ゆっくりと瞬きをし、
「今日は奉太郎くんの入学式だよね?」
少しだけ不安げな瞳で、下から俺を覗き込んだ。

「ええ、まあ」
簡潔に答える。
さんは、だよね、と両手をパンと合わせ、
「お祝いって言ったら、やっぱりお花かなって」
まるで邪気のない笑顔を、こちらに向けた。

「──…」
参った。
咄嗟に二の句が継げない。
だってそうだろう。
こんなのは幾ら何でも、想定外過ぎる。
姉の友人、というだけの間柄の相手が、たかだか高校入学を祝うために、わざわざ当日に、学校まで、足を伸ばしてやって来るなんて、普通は思わない。
しかも。
この人の様子から察するに、これは姉貴の差し金でもない。
つまり、この女性は、自分の自由意志で、友人の弟の高校入学を祝いに、馬鹿みたいに立派な花束を用意して、ここまで、来たのだ。
「………」
眉が寄ったのが自分でも分かった。
この人ならあり得ると納得してしまえるところが、なお始末に悪い。

「ほら、卒業式には行けなかったから…」
俺の内心に構わず、言葉を続けるさん。

─卒業式にも来るつもりだったのか。

あくまでも内心で突っ込む。
さんは、じいと俺を見つめた後(本当に全く何だっていうんだ)、するりと一歩後退し。
「奉太郎くん、そのまま。真っ直ぐ立ってこっち向いて」
カメラのレンズをこちらに向けて、嬉しそうに要求をしてきた。
(しかもカメラ付き携帯じゃなくてわざわざデジカメとか。あり得ないだろ)
「いや、そういうのいいんで」
若干うんざりと返すと、折角の晴れ姿なんだから、と返ってくる。
(─晴れ姿って、ただの学生服だし)
あくまで声には出さない。
俺が乗り気でないのに気付いてか、さんはファインダーを覗いていた顔を上げ、悪気のまるでない様子で口を開いた。

「撮ったら、供恵ちゃんにも送っとくから」
「それは断固拒否します」

即答。

さんは何も分かってないような顔で、喜ぶと思うけどな、なんて呟く。
冗談じゃない。
里志じゃあるまいし、自ら笑いのネタを提供するほど、酔狂には出来ていないんだ。

「……あ」
と、脳裏に名案が閃く。
我ながらこれは中々いいだろう。何せ一石二鳥だ。
さん、ちょっと」
小首を傾げるさんを、手招きして呼び寄せる。
「何?奉太郎くん」
「ちょっと、これ持っててくれますか」
片手でポケットを探りながら花束を渡す。
俺が何かをしようとしているのは察したのだろう、素直に花束を受け取ってくれるさん。
(これであの姉貴の友達だってんだから、不思議なモンだ)
そう、この人は年下の俺から見ても、あまりにも人を疑うということを知らない。
お人好し、って奴だ。
「ちょっと、あっちの方見て下さい」
「ん、あっち?」
彼女の左手に位置する桜の木、その目線よりやや上の辺りを指差す。
俺の指に従って、左上方を見上げるさん。
瞬間、その満開の桜を見て、彼女の顔が柔らかく綻ぶ。


─カシャ。


「えっ!?」
さんが、慌てた顔で首を戻す。
彼女の目には、携帯を片手に構えた俺の姿が映っているだろう。
「どうも。ご協力、感謝します」
頭を下げつつ、上目遣いに彼女がひたすらに瞬きをする様を見上げる。
「え、ちょ、奉太郎く……えぇ!?」
狼狽する彼女の頬が、段々と桜色に染まる。
やがて、ようやく起こったことを認識したさんが、自分が抱えた花束に邪魔をされつつこちらに手を伸ばした。
「けっ…消して!」
「嫌です」
「何で!?」
「何で、って」
俺は、最初と立場は逆の同じ質問に、表情を崩さぬまま答えた。
「折角、珍しいものが撮れたので」

さんの顔が赤くなる。
「ひっ人を珍獣扱いしない!」
「そういう意味じゃないですよ」
「とにかく消そう!?」
「いいじゃないですか。かわいく撮れてますよ」
「かっ…」
その一言で、さんが絶句する。

「──…ッ」
が、それはほんの数瞬のことで。
「あんまり大人をからかうものじゃないよ?」
嗜めるような口調で(でも顔は赤いままだ)、むくれたような表情のさんが俺を見上げる。
「──…」
ぽん、と。
丁度目線の高さくらいにある頭に手を乗せ、そのままそっと撫でた。
「ほ、奉太郎くん?な、何かな」
「いや。丁度撫でごろだったので」
「理由になってないよ?」
「髪、綺麗ですね」
「だから、からかわないっ」
抗議したげな目線を向ける彼女に、俺は心底心外だ、という顔を向けた。
「からかってないですよ」
真面目に言ったつもりだが、彼女はまるで信じていないようにこちらを睨む(が、迫力は全くない)。
「人をからかうだなんて─」
俺は、抑揚のあまりない調子で、彼女を見下ろしながら続ける。
「そんな、エネルギーの浪費にも等しいようなこと、俺がする筈ないでしょう?」

う、と彼女が言葉に詰まる。
それなりに長い付き合いなだけあって、この人も俺の省エネ主義をよく理解してくれている一人だ。
赤い顔のままこちらを見上げて固まった彼女を見て、俺は、うん、と一つ頷き。
「まあ、そういうことです。さて帰ろう」
校門に向けて、止まっていた足を再び踏み出した。
「ちょ、奉太郎くん、これ!」
さんが、花束を抱えたまま追いかけてくる。
「ああ」
さも今気付いたという風に、俺は振り向く。
「嫌じゃなければ、そのままウチまで来てくれません?」
「えっ」
「お礼にはならないでしょうけど、コーヒーくらいは出しますよ」
「や、それはいいんだけど…持てない理由、が?」
不思議そうに問う彼女に、出来るだけ滑らかに俺は言葉を滑らせる。
「俺じゃ、似合わないんで」
「そんなことないけど…あ」
さんが、控えめに俺の顔を伺う。

「もしかして、迷惑……だった…?」
「何を今更」
さらりと口にすると、彼女の眉が八の字に下がる。
「ご、ごめんね、私…」
「迷惑なら最初に言ってますよ。遠まわしに拒絶とか、無駄の極みじゃないですか」
前を向いたまま、そう言うと。
「──そっか」
横に並んで歩く彼女が、ふわりと微笑んだのが分かった。

本当は、こんな説明を一々するのも、省エネには反するのだけれど。
…どうやら、俺は、この人には少し弱い、らしい。
まあ、でも。
俺は、ポケットの中の携帯を弄んだ。
たまにはこういう日も、悪いことばかりじゃ、ない。ようだ。







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いっせき−にちょう【一石二鳥】
一つの事をして同時に二つの利益・効果をあげること。一挙両得。

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