「そろそろ、冷えてこよう」
声に振り向くと、いつの間にかが隣に座っていた。
は少しばかり目を見開いたが、直ぐに柔らかな笑みを零した。
この男が姿を現す際に気配を感じさせないのは、そろそろ『いつもの事』になりつつあったのだ。
「──君を迎えに来た」
の返事がないのを確認すると、はもう一押し、言葉を発した。
星明りを映した波が寄せる音だけが、砂浜に響く。
は上を向き、月の位置を確かめた。
マジックが残して行った夕餉のカレーは、そろそろ消化し切る頃合いだった。
「の奴、どこまで行ったんだぁ?」
先ずそれを言い出したのは、シンタローだった。
夕飯の片付けを済ませた後、散歩と告げて出て行ったが戻ってこない。
そわそわと、外を覗うシンタロー。
パプワとチャッピーは、食後のシットロト踊りに勤しんでいる。
「まさか、どっかで転んだりしてないだろーな…」
あり得ない事ではない──むしろ、十分あり得る──という顔で、シンタローが呟く。
パプワ達(主にチャッピー)を眺めていたが、おもむろに立ち上がった。
「俺が行こう」
「エ…─あ、いや、俺が」
「食事の礼だ。それに…君はまだ、ここを離れられないだろう」
言いながらちらり、と動いた目線の先を追えば、パプワが踊りを終えたところだった。
「シンタロー!僕はもう寝る。布団を敷け」
「…っ、ンな事言ったってお前、が…」
抗議の目をパプワに向けたシンタローの肩を、が軽く叩く。
「子供は、そろそろ寝る時間だ」
諭すような目でシンタローを見つめる。
はたと、シンタローの肩から力が抜けた。
「──…ワリ」
呟くように、詫びる。
「案ずるな。責任を持って迎えに行く」
それだけ言うと、の姿は夜の闇に掻き消えた。
「──シンタローが、心配していた」
その言葉に、の肩がぴくりと揺れた。
月に照らされた頬が、僅かに染まる。
「…シンタローさん」
確かめるように、その名を口にする。
その瞳は、微かに揺れていた。
「あの親子の事か」
の問いに、が顔を上げる。
「──さんは、」
ぽつりと、が問い掛けた。
「マジックさんのことも……知っているんですよね」
問いの意味を悟ると、は波間へと視線を移した。
「君たちは、まるで水面のようだ」
「──…え?」
謎掛けのような言葉に、が問い返す。
はそれには答えず、もう一度の方を向いた。
「未だ、帰らぬ用事があるのか」
話が本題に戻った事に気付き、はそれ以上問うのを止めた。
代わりに、立ち上がって砂を掃う。
「──さん」
「うむ」
「…私、気付いたんです」
何を、と問う代わりに、はただ黙ってを視た。
迷いのない笑顔が、そこにはあった。
「だから──シンタローさんに、伝えて下さい」
微かな風の音に、シンタローは顔を上げた。
いつの間にか、が目の前に佇んでいた。だが、そこにいたのは彼一人だ。
「お……」
シンタローが何事か言うよりも早く、夜と同じ色の男が言葉を発した。
「『逃げるのはもう、止めにします』」
シンタローが、はっと息を呑んだ。
「彼女からの伝言だ」
簡潔に告げる。
「──…は?」
搾り出すように問う。俯いたシンタローの表情は、長い髪に隠れて視えない。
「聖獣に会いに行くと言っていた」
明かりのない部屋に、の低い声が響く。
シンタローは、俯いたままだ。
パプワとチャッピーの寝息に混じって、シンタローの呼吸音が僅かに聴こえる。
「─彼女は言っていた。逃げていては視えないものがあるのだと」
シンタローが、僅かに顔を上げた。
その眼は、何を捕らえるでもなく──ただ堪えるように、前方を見つめる。
「笑っていた」
「──あん?」
ようやく、シンタローが振り向いた。
が淡々と続ける。
「彼女は、笑っていた。君は、待っていてやれば良いのではないか。いつものように」
「───…」
呟くように、その名を口にするシンタロー。
の口から、微笑が漏れた。
「矢張り水面のようだ」
「は?」
シンタローが、訝しげな眼を向ける。は、否。と首を振った。
「頃合いを見て、迎えに行く」
「え?………あ」
彼女の事を言っているのだと気付くのに、2秒ほど要した。
口数が少ない分、との会話は付いて行くのに時折骨が折れる。
「邪魔にならぬように、洞窟へ送り届けた後に一旦戻ってきた。君への言伝もあった故」
「あ、あぁ。そいつはどうもな」
「もう暫くしたら、俺はまた洞窟へ行く。君は少し、休んでいると良い」
今日は些か疲れただろう、と。
マジックの来訪は、あの少女だけでなく、この青年にとっても大きな出来事であったのは相違ない。
だが。
「いや…俺が行く」
シンタローは、はっきりと首を横に振った。
「アンタは、パプワ達を見ててくれよ」
─良いのか。
と問おうとし、は口を噤んだ。
シンタローの瞳に、普段の意志の強さが戻っている。
「承知した」
「悪いな」
と、シンタローが詫びた時には、は既に布団の方へ身を移していた。
「案ずるな。命に代えても守ろう」
「大袈裟過ぎンだろ…」
真剣な眼差しは、主にチャッピーの寝顔に注がれている。
─やっぱりガンマ団ってイロモノ集団なのか?
じゃあ俺って…?己の出自に溜め息を吐く。
が、それは直ぐに苦笑へ変わり。
「ま…目ぇ逸らしたって無くなる訳じゃねえしな」
それは、彼女からの伝言に対する、己なりの回答。
「さってと…んじゃ、不良娘を迎えに行くか」
月に照らされたシンタローの横顔は、笑っていた。
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