「しかし…シンタローも変わったのう…」
傷薬を塗られながら、武者装束の男は一人ごちた。
巨大な錦鯉と共にこの男が現れたのは、ほんの一刻ほど前のことだ。
推定価格三億円の錦鯉に目が眩んだシンタローの手によって一網打尽にされた男を介抱しているのは他でもない、である。
実力のほどはともかく、男はシンタローの命を取りに来た刺客だ。それを考えれば、傷の手当など施すのは、おかしいのかも知れない。
だが──気づけばは、シンタローやパプワの目を盗み、救急セットだけを小脇に抱えて、男の落ちたであろう方角へ向かっていた。
変わった、と男は言う。
が、手を動かしつつも首を傾げる。
それを見て、武者のコージは可笑しそうに笑った。
「ガンマ団におった頃のあいつは、そうじゃな、もっと…鋭い目をしておった」
「するどい…」
鸚鵡返しに呟く少女の表情を見て、コージは、ぬしには少ぅし難しかったかも知れんのう、と笑った。
「──まぁ」
どこか遠くを見やるように目を細めて、コージが呟く。
「知らんでいいこともあるじゃろう。特に、ぬしゃあのような女子にはの」
言って、わしわしとの黒髪を掻き混ぜた。
丁度薬を塗り終えたところで、勢い良く立ち上がる。
「世話になったのう、とやら!」
「あっまだ包帯が…」
言うが早いが、の言葉も聞かず、武者のコージはもと来た道を全速力で駆けて行く。
直ぐに、その姿は豆粒ほどにまで遠ざかっていった。
「何だべ、ありゃあ?」
と、の背後から知った声がした。
「ミヤギくん、あれは武者のコージじゃあらせんかね」
悠然と歩いてきたのは、東北ミヤギ、そして忍者トットリ。
鉢植えから開放されてからというもの、この森に潜んで自給自足生活をしているのはも知っていた。
何故知っていたか、といえば。
「お、じゃねえべか」
「何しとったんだらあか…あ。」
いち早くの手元に気づいたのはトットリだった。
次いで、トットリの視線を追ったミヤギもそれに気づく。
「──カーミーセー…」
「えっ?」
首を傾げるに、ミヤギが腰を屈めて指を突きつける。
「まぁたいらねえ世話焼いとったべか、お前は」
眉を寄せるミヤギ。が少したじろぐ。
「え、でも、怪我を…」
「まぁまぁ、ミヤギくん。ちゃんは相変わらず優しい子だっちゃね」
苦笑交じりにトットリが割って入る。
ミヤギはふん、と鼻を鳴らすと、じろりとを半目で見下ろした。
「後でシンタローに見つかってみろ、怒られっのはおめなんだかんな」
「……はい」
は困ったような笑いを返した。
これは、ミヤギなりの心遣いなのだろう。
初めて、彼らに弁当を届けた日のことを思い出す。
森の中で偶然二人の姿を見かけ、食うや食わずの生活を送っていることを耳に挟んだ。
翌日の朝、は誰よりも早起きし、シンタローたちの目を盗んで弁当をこさえ、彼らの下へと届けた。その影には、もう一人の協力者もいたのだが。
トットリは丁寧に礼を述べ、ミヤギは毒づきながらも最後には頬を染めつつ簡素に礼を述べた。
「──はぁ〜。ったく、おめはよぉ…」
呆れた声で、ミヤギが肩を竦めた。
その横で、トットリも苦笑している。
それは当然といえば当然の反応だ。
自身、何故こんなことをしているのかと問われれば、答えに窮する。
今日のコージといい、彼らが哀れに見えたのだろうか?
それもあるだろう。
だが、もっと別の感情がを動かしたのは、確かだった。
その感情を何と呼べばいいのか、は知らない。
聞かれれば、こう返すほかない。
『ほうっておけなかった』。
「─ただいまー…」
小声でドアを開けると、そこには風呂桶に入れられた錦鯉がいた。
パプワとチャッピーはその周りでシットロト踊りを踊り、シンタローは鼻の下を伸ばして上機嫌だ。
「お、!おかえり!」
「ただいま、シンタローさん」
よほど機嫌がいいのかそれどころではないのか、シンタローはの行動について問い質すことはしなかった。
ほっとする一方で、コージの言っていたことが脳裏を過ぎった。
シンタローとは、同じ組織で過ごした同士であったと。
ミヤギもトットリも、そしてあのアラシヤマも。
─本当であれば、戦い合うなどしたくないのではないか。
そう問うたに、コージは清清しい笑顔で言った。
『わしらにゃあ、こういうやり方しかないけんのう』
それは、傍から見れば異様な有様ですらあった。
仮にも殺しあうというのに、彼らの戦いは、まるで──友人同士のじゃれ合いのようでもあった。
それは、毎日パプワとシンタローのやり取りを見ているだからこそ、思ったことかも知れない。
記憶のないには、『友達』の定義はよく解らない。
けれど、例えばパプワとチャッピー、パプワとシンタロー、ミヤギとトットリ、彼らの関係は三者三様ではあるけれど、確かに『友達』なのだろうと感覚的に思う。
ガンマ団からきた青年たちとシンタローが友人のようなものであるとしたら、それは─とても悲しいこと、なのではないか。
は密かに、胸を押さえた。
だったら。
─どうして、そうなってしまったのだろう。
「ー、そろそろ寝るぞ」
自分を呼ぶ声で我に返る。
キヌガサの前に布団を敷き終えたシンタローが、こいこいと手招きをしている。
「…はぁい!」
和やかな夜。
今はこれを守りたい。
は半ば強制的に、先ほどまでの考えを引き剥がした。
翌朝、『こいのぼり』として飾られたキヌガサを見上げて目に涙を浮かべるシンタローを見て、「友達だったらこういうときは何て言ってあげるべきなんだろう」などと、は真面目に考えた。
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