いつものように声を掛けた。
振り向いた愛しい彼に──何か、が、貼り付いていた。





可愛いところもあるじゃない





ざわ、と。
心臓が動く音がした。
「──…あ、」
私を見上げた彼の口から、声が漏れた。
ただひとつの音だけで溢れるほどに愛しいその響きが、かろうじて私の意識を繋ぎ止めた。
手に持った荷物がずるり、と落ちるのを、寸でのところで握り直す。
「ル」
「どちら様ですかぁ?」
いとしい名を呼び掛けた私の言葉に、間延びした甲高い声が被さった。

私は今、どんな顔をしているのだろう。
いとしい彼が、慌てたような、困ったような顔で私を見ている。
傍らで唾を飲む六文くんの気配を感じた。
いとしい人に全身で接触する女の子が、きょとんとした顔でこちらを見ている。

この感覚は何だろう。
全身が縛られたようにぴくりとも動かなくて、砂漠のように喉がカラカラで、階段を駆け上がったみたいに心臓がドキドキしている。
とおい昔に、置いてきたような何か。

「あっわかった!信者の方ですね!?」
ぱん、と少女が手を打った。
そうでしょう天使様、といとしい人に顔を近づけて──


胸の奥で、ビー玉を高い処から落としたような、音がした。



「…そ」
「違うわ、お嬢ちゃん」
何かを取り繕おうとした彼の声と、私の声が重なった。
少女が、はえ?とこちらを向いた。
私は今、満面の笑みを貼り付けている。鏡を見なくても解った。
さあ、と彼の白い肌から、更に血の気が引いたようだった。
「──あッあのだな…」
「私、ルーくんが好きなの。」


───しん。
何秒経ったのだろう。
正面であんぐりと口を開けるルーくんと、視界の隅で額を押さえる六文くんは、まるで時が止まったかのように見えた。

「そうですよね、なんたって天使様ですもの!」
静寂を切り裂いたのは、少女の甲高い声だった。
にこりとあどけない笑みを浮かべて、胸の前で手を組んだ。
「神々しくも美しいお姿、穢れなきその魂…人として、心惹かれて当然ですわ!」
「ううん、違うのよ、お嬢ちゃん」
私は首を横に振り、少女の目線まで腰を落とした。
「私は、私という一つの存在として、ルーくんという一つの存在を愛しているの」
愛、という言葉を彼の前で使ったのは、初めてだった気がする。
ルーくんは、みるみると顔を赤らめて、口をぱくぱくとさせた。
「…えーと、それ、って…」
「違うぞ!あのな、コイツはだな、私が改心させようと…」
「ルーくん」
彷徨う少女の視線に、泡を食って弁明を始めた彼の名を呼んで、端正な顔を両手で包んだ。
そして。


「───…ッ!!」


アメジストの瞳をまん丸に開いた彼の唇に、しっかりと口付けた。



「──お、まッ………」
離した唇が、至近距離で何事か紡ぐより早く。
「私の想いは変わらないよ?」
息がかかる距離でその瞳を見つめて。



「──ふっ…」
すぐ横から、鈴を鳴らすような声が震え。
「不遜ですーーーーーーッ!!」
耳をつんざくような大絶叫が、路地裏に木霊した。


残響を残すその声を、背中に受けて。
ちょ、待て、と追いかけた、いとしい声も。
あのッ、と言いかけた、馴染みの声も。
「なんて不信心なんでしょう!恐れ多いにも程があるわ!」
未だ何かを喚き続ける、可愛らしい声も。

ゴメンネ?
今はちょっと、立ち止まってあげられるような気分じゃないのよ。
でも、何故かしら。
じわりと疼く、この胸の痒みも。
「──大人げないなぁ」
呟いた口から、思わず笑みが零れた。

何を思われようが構わない、と言いながら。
周りが見えないほどに、狼狽して。
あんなに小さな子に、張り合って。


でも、こんな自分も、それなりに気に入ってるって思えてしまうから。


「──たまには、ね?」


──こんな可愛いところが、まだ自分に残っていたなんて。








+++
ごめんなさい。このお題って、多分、相手に対しての台詞ですよね。フリーダムな解釈ばかりしてます。
しげみちゃん初登場の回の話。
あの抱きつきシーンを見た瞬間に、これは是非ともネタにせねば!と妙な使命感が…
そういえば、さん一人称って初めてかな。
080827