吸い込まれそうなほど、深い瞳だった。
彼の言葉は、その一つ一つが私の心の奥の一番柔らかい場所まで確実に届き、そこに眠っているものを容赦なく揺さぶり起こそうとする。
『仮面・2/狼』
───このままでは危険だ。
私の中の何かが警告を発する。
それに追従するかのように、私は外していた仮面を再びつけた。
「さて、と」
息を一つ吸い込んで顔を上げたなら、『いつもの』私がにっこりと微笑む。
「そろそろ失礼します。寄り道が過ぎると叱られますから」
冗談めかした言葉を残して回れ右をする。背中から、深みのある声が追い掛けた。
「塗り固めた仮面はいつか剥れる。──肝に銘じて置く事だ」
見透かしたかのような言葉に思わず振り返りかけ、慌ててその衝動を押し留める。
振り向こうとした拍子に外れかけた仮面を無理矢理貼り付けておくかのように、私はわざと口角を上げた。
彼の"忠告"には答えずに、背を向けたまま口を開く。
「──そうそう」
発した声は、『いい人』のラナのものだった。その事に少し安心し、私は今度こそ振り返った。
「まだ、お名前を聞いていませんでした」
「…聞いてどうする?」
彼が、誘うような視線を投げ掛ける。
私は大きく一歩前に踏み出し、互いの息がかかるくらいにまで彼との距離を詰めた。
全く動ぜぬ様子で私を見下ろす彼。その視線に侵されるような感覚すら覚えつつ、上目遣いに彼の瞳を見つめ返す。
互いの視線がぶつかったその一瞬の間に流れる、危険で、限りなく甘い空気。
私はすっと人差し指を立てると、ゆっくりと彼の口元へと近づけた。
「これほどまでに私の心を揺さぶる男性は、そうはいませんので」
優しい笑顔で微笑み、その薄く冷たい唇に指を触れたまま、悪戯っぽい声色でそっと囁く。
くっと、彼の喉から笑いが漏れた。
「──それはそれは」
唇に触れられているのも構わず、彼は囁き返した。
耳元で愛を囁かれている錯覚すら覚えそうなほど、甘い響きを含んだ声。
彼の熱い息が指先にかかり、口唇から伝わる振動に軽い痺れを起こす。
「───レンだ」
誘うような目つきのまま彼は答えた。
──これ以上、引き込まれては敵わない。
眩暈を起こしかけている脳を理性で押し留め、私はそっと指を離した。
離れる瞬間、唇と指先の間の僅かな空間に、互いを名残惜しむかのような空気が流れる。
余韻に浸る感覚に襲われながら、私は一歩後退して彼との距離を元に戻した。
「レン、ですね。──覚えておきます」
『いつもの』笑顔で別れの合図を告げると、舞い散る木の葉だけを残し、私はその場から姿を消した。
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