─鹿児島県日置市、妙円寺─

「いよいよ、か」
島津弦一朗しまづげんいちろう は暮れ行く虚空を見据えた。
嵐に切り刻まれた細切れの雲は、さながら累々と横たわる将兵の屍。
その連想を呼び起こした光景に、島津は尋常ならざる匂いを嗅ぎ取っていた。
遠い昔。刀槍を提げ、馬腹を蹴って戦場を馳せた身には親しく馴染んだ匂い。
時が流れ、身は様々に移ろったが、それを忘れ果てる事だけは決してなかった。
携えた小太刀の鯉口をそっ、と切る。
曇り一つ無い刀身に、蒼い輝きが奔った。



─東京都渋谷区、某所─

横殴りの風雨が、眠らぬ街の煌きすら覆い尽くして荒れ狂う。
ヴェルギール・レントシュタットは、足元の水溜りに横たわる肉塊を冷たく見下ろした。
「──この程度」
感情の篭らない呟きは音として美しく、それでいて聴く者を総毛立たせる凄愴な響きを帯びている。
「だとしたら、茶番に過ぎる。もっと速く殺すべきだった」
叩き付ける風雨を意に介さず、自ら屠った獲物に手を伸ばす。
華奢な少年の手が、倍は厚みのありそうな巨漢の喉首に食い込み、無造作に引き摺り上げた。
反応は無い。完全に息絶えている。
「…外れ籤を引かされたか」
秀麗な美貌が僅かに歪む。
できるならば、自分が片付けておきたかった。そうすれば、彼女は手を汚さずに済む。
決して口にする事の無いであろう願いは、だが、どうやら叶いそうもない。
芸術品を思わせる端麗な指が、死体の頚部を無造作に握り潰した。



─東京都新宿区、久米法律事務所─

「──判りました。そのまま交戦を継続してください。お疲れさま」
香坂槇依こうさか まきえ は労いの言葉を最後に電話を切った。
思わず溜息がこぼれる。
「─やっぱし囮やったか」
低い声が壁際から響いた。
槇依は声の方向を軽く睨みつけた。
「悪趣味です。女の溜息に聞き耳立てるなんて」
「そら済まんな」
沢崎慎さわざきしん はあしらうように笑った。
日本人としては丈も厚みもある身体を壁にもたせかける。
「ヴェルの奴、ご機嫌斜めやったやろ?」
「それはもう」
槇依は数分前の報告を思い起こした。
「あの様子だと、多分所長の思惑にも気付いています」
「今更どうもならんわ」
沢崎は鼻で笑った。そういう仕草が、不思議と嫌味にならない。
「揉めてまで邪魔する気はあれへんのやろからな。それより─」
「島津さんは明後日には戻られます。 悠鶴ゆづる ちゃんには…所長から?」
「ああ」
沢崎の口元が、今度は苦笑に歪んだ。
「人任せにもできんやろ。明日直で言うとく。週末には接触する筈や」








 


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