「─とりあえず、これでいいかな」
映像が表示されたのを確認して、私はテレビの電源を落とした。
視界の薄暗さに気付き窓の外に目を遣る。既に9割以上、日は落ちていた。
「もうそんな時間、か」
時刻を確認しようとして、目覚まし時計が荷物の中である事実に気付く。
携帯を、と思ったがポケットを探っても見当たらない。荷物搬入のどさくさで、どこかに置いたままのようだ。
記憶を検索しようとしたが、面倒になって5秒で諦める。
どうせそのうち着信が入るし、それで在処は判る。明日の朝までに見つかりさえすれば、困りはしない。
腰を上げ、部屋の入り口へ向かった。
照明のスイッチを入れると、部屋の全貌が照らし出される。
12畳の洋間にある家具は、テレビとテーブルのみ。
壁際には、未開封の段ボール箱が30個ほど。うち25箱は書籍関係だ。
色褪せた薄っぺらなカーペットを敷いただけの室内は殺風景極まりないが、仕方ない。何しろ、つい数時間前に越してきたばかりだ。
未開封の荷物を全て開けたところで殺風景さは拭えないだろうが、三十代後半の独身男の部屋など、得てしてそんなものだろう。
改めて室内を見渡してみる。
私自身、この部屋を見るのは今日が初めてだった。あまりに急な引越しのため、部屋選びを全て友人任せにしたのだ。
雨風凌げて本があれば生きていける性分だから、住処へのこだわりは特に無い。こちらから告げたのは家賃の上限と、本を積んでも床が抜けない事だけだった。
果たして。
私にあてがわれたのは、12畳二間ダイニングキッチン付き風呂トイレセパレートという、しがない独身の大学教諭には少々贅沢なマンションの一室であった。
郊外とは言え都内で、家賃の額から考えれば破格と言っていい物件だ。蛇の道は蛇。顔が広いのは何となく聞いていたが、奴は一体何処からどうやってこんな物件を見つけてきたのだろうか。
『都内でオートセキュリティ付き言うたら、その程度の部屋にはなる。予算内やし、広い分には文句無いやろ?』
先日の電話で、奴はそんな事を言っていた。
セキュリティは無理に要らないと言いかけたら、皆まで言わせず罵声が飛んできた。
それでなくとも厄介事の上に、余計な心配まで増やせるかアホウ、だそうだ。
恐らくは奴の言い分が正しいのだろう。だが、私の自覚が希薄なのも無理からぬ事だと主張したい。
37年間、概ね平和で穏健な世界で生きてきたのだ。
事の次第について説明を受けたのが一週間前。一週間やそこらで、一般市民にプロ並みの危機管理意識を身に着けろ、という方が無茶だ。
「──そういえば」
危機管理云々で思い出した。来客の件だ。
朝から長距離移動と引越し作業で忘れかけていたが、本日中に先方と顔合わせをする事になっている。顔も名前も知らない相手だが。
一人寄越すと言ったきり、奴からも連絡は無い。向こうも忙しいのだろう。何しろ急な話だ。
それについては別段気にもならない。ビジネスだから相手の人となりを気にする事はないし、第一選り好み出来る立場でもない。
部下が着くまで迂闊に出歩くな、とは奴の言。
大袈裟とは思うものの、友人の忠告を無碍にする事もあるまい。
そう考え、徒歩3分のコンビニへ赴くのも自重し黙々と荷解きを進めていたが、時間帯的にも些か腹が減ってきた。
常の癖で冷蔵庫に手を伸ばすが、何も入っている訳がないと思い出す。それどころか、この嫌がらせのように重たい箱には、現時点では電気すら通っていない。
コンセントを入れようとしたが、中身もないのに馬鹿らしいと思い直した。
仕方なく、着く前に買ったペットボトルの茶の残りを空ける。当然ではあるが、すっかり温くなっている。
気にせず飲んではみるが、空腹を飲料で誤魔化すにも限度があった。
「…何か読むか」
本を読んでいれば空腹は忘れられる。
ペットボトルを床に置き、私は積み上げられた段ボール箱の山に手を伸ばした。
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