「久しぶりだね、有里ちゃんとご飯食べるの」
「は、はい。そうですね」
邪気のない笑顔を向けるに、堅い笑顔で返しつつ有里は答えた。

商店街から少し外れたところにある創作居酒屋。
を飲みに誘うと、有里ちゃんち?という無邪気な回答が返ってきたが慌てて拒否し、代わりに来たのがたまたまフリーペーパーで見かけた個室付きのこの店だった。
「あ、これ美味しい。有里ちゃんも食べなよ」
生春巻きを一口囓ったが楽しそうに促す。
「相変わらず細いんだから。普段ちゃんと食べてる?」
「食べてますよー。…って、私のことはいいんですっ!」
心配そうに見つめるに苦笑で返すが直ぐに目的を思い出し、有里がバン、と軽くテーブルに手を置いて身体を乗り出した。
「ど、どうしたの」
「……さんに、聞きたいことがあるんですけど」
箸を持ったまま固まるに、真剣な顔で有里が言う。
な、何でしょう。と首を傾げる
有里はずい、と更に距離を縮め、小声で問うた。
「─…石神さんにキ、キスされたって、本当ですか」

カア、との頬が染まる。
─ああ、黒なんだ…。
心の中で、有里は石神の名前をブラックリストの一番上に投げ込んだ。
「な、な…何で、知ってる……の?」
目の前の幼馴染みは、見ていて可哀想になるくらい真っ赤になって狼狽している。
いや、可哀想というよりむしろ、可愛らしい。
「丹波さんに聞きました」
「内緒にしてって言ったのに!丹波さんの馬鹿!お喋り!!」
この場にいない人物を罵り、が顔を覆う。
「あの、それで」
ストン、と元の姿勢に戻り、有里が控えめに問う。
「実際のところ、どうなんですか?」
真剣な瞳が、をじっと見つめる。
「ど、どうって……どういう」
「双方の事情を確認しておかないと。クラブ内で選手がセクハラなんて、事が事だけに」
「え、ちょ、ちょちょ、これってそういうことになる…の?」
慌てたようにが問う。
それはそうですよ、と有里はさらりと答えた。
「ええー……」
困ったように、が前髪を触る。
「そういう話にしたくなかったから、内緒にしてって言ったのに…」
「どういうことですか?」
有里が眉を顰める。
はだって、と有里に向き直った。
「シーズン中の大事な時期にそんな……皆、折角頑張ってるのに」
さん」
有里が少し語気を強める。
「それとこれとは、話が別です」
「う、そう…なっちゃう?」
「当たり前ですよ!」
有里がダン!と先ほどより強めにテーブルを殴りつける。
「合意の上ならともかく。泣き寝入りとか絶対駄目ですからね!?」
「有里ちゃん…」
有里の顔は怒っている人のそれで、それはきっとフロントの責任感とはまた別に、幼馴染みの自分を心配しているのだろうと、付き合いの長いには嫌でも分かってしまう。
この娘は、そういう子なのだ。

「─ごめんね。心配かけちゃって…」
が軽く項垂れる。
そんなことはいいんです、と有里。
「─ただ」
「?」
切り出した有里の言葉に、が顔を上げる。
有里はじ、っとを見て。
「今回のこと。さん自身はどう思ってるのか…正直な気持ちが聞きたいんです」
「私、の…」
「遠慮とか一切要りませんから!はっきり言っちゃって下さい!」
険しい表情を崩さぬまま、有里がきっぱりと言い切る。
は、何度か瞬きをして。

「正直、な……気持、ち…」
言いながら、の頬が再び紅く染まる。
やがて、控えめに視線を逸らし、必死に言葉を探すような表情で、は唇を軽く噛んだ。
「…さん」
有里が、思わずポカンと口を開ける。
「……えっと」
未だ言葉を探しているの表情。
それはさながら、初恋の相手に焦がれる思春期の少女のようで。
「か、かわいい」
何よりもまず先に有里の口をついて出たのは、そんな感想だった。
へ!?と、が素っ頓狂な声を上げる。
いけないいけない、と有里は表情を真面目モードに戻した。
さん」
「…は、い」
「……間違ってたら、そう言って欲しいんですけど」
「は…は、い…?」
「─…その…もしかして、石神さんのこt」
「ちょ、ちょっとストップ」
言いさした有里の口を、身を乗り出しての手が塞ぐ。
その顔は、耳まで真っ赤に染まっていて。
有里は、ふう、と小さく溜め息を吐いた。

「あ、あの有里ちゃん?誤解しないで欲しいんだけど、あくまでその、私の一方的なアレであって」
「逆に言えば、向こうはさんの純粋な気持ちにつけこんだ、と」
「い、石神さんはそんな人じゃない…と思う、よ…?」
「その根拠は?」
有里の厳しい視線がを見据える。
は、少し言葉を探した後、
「い、イチゴ牛乳奢ってくれた…」
子供のようなことを、小さな声で搾り出すように言った。

「…さん」
有里が、そっと手を差し出し、の両手をきゅっと握った。
「ゆ、有里ちゃん?」
瞬きするに、有里はこれまでにないくらい真剣な表情で頷き、
「私は、さんの味方ですから」
そう言って、握った手を強く結んだ。
「え?…っと…」
ポカンとするの目の前で、有里がはあーっと、大きな息を吐く。
「何でこの人、私よりお姉さんなのにこんなに可愛いのかしら…」
ぽつり、と呟かれた言葉に、がビクリと肩を揺らす。
「い、いやいや何言ってるの有里ちゃん?有里ちゃんの方が何百倍も可愛いからね!?」
「もう、そういうところも全部ひっくるめてとにかく可愛いですこのやろう」
「ど、どうしたの急に!?」
困惑するの頭に、有里の手がそっと乗せられる。
「…有里ちゃん?」
「何か、私いま、丹波さん達の気持ち、ちょっとだけ分かったような気がします」
そう言って、有里は自分より年上の女性の頭を、子供にするように優しく撫でた。
え、え?と訳の分からない風のを眺めながら。

─とりあえず、石神さん殴ろう。

有里は、ほんのり酒の入った頭で、物騒な決意を固めた。