「だーれだ?」
背後から目隠しをすると、弁当を広げていた彼女の肩がびくりと揺れた。
「…え…っと……石神…さん?」
「正解」
ぱっと両手を離すと、振り返った彼女は、あ、やっぱり石神さん。とほんのり笑った。
「でも何で疑問形?」
「…もし間違えたら恥ずかしいなって」
「えー。ちゃん俺の声聞き間違えちゃうの?」
少し意地悪く口を尖らせてみると、彼女の頬がぽっと染まった。





case3.定食屋





「これから食うとこ?」
開けたばかりであろう弁当箱を指すと、彼女はハイと頷いた。
「んじゃ、丁度良かった」
言って、俺は持ってきた弁当箱を掲げて見せる。
彼女が首を傾げた。
「今日は俺も弁当」
彼女がぱちくり、と瞬きをした。
「…えっと」
言葉を探しているようなので、知り合いに作って貰ったんだよね、と続けると、彼女の目がまた見開かれる。
「……彼女さん…とか…?」
その声が不安げに聞こえたのは、多分気のせいじゃないだろう。
俺はひらひらと手を振って否定する。
「違う違う」
「え、違うんですか?」
「…彼女いるように見える?」
「……う、ううーん…」
彼女が悩み出す。
俺は心の中で苦笑する。
なんで気づかないかなあ。
そんな相手がいたら、君とこうして一緒にいたりしないってのに。


「じゃ、いただきまーす」
「…いただきます」
二人して手を合わせる。
俺の提案で交換された互いの弁当が、胃を刺激する良い香りを放つ。
彼女の手元にある俺持参のそれは、勿論俺が作った訳ではなく。
知り合いの奥さんに拵えて貰ったのだと言うと、彼女は首を傾げながらも納得してくれた。
ちゃんは、自分の弁当を俺に渡すことを渋っていたけれど、そこを半ば無理矢理奪い取った。
だってこれが目的でわざわざ用意したんだから、そこはこっちも譲れない。
俺の弁当箱を開けたちゃんが、あ、おいしそう。と呟く。
「こっちもうまそー」
本心からそう述べるが、彼女は大したものじゃないですよ、と念を押す。
何でわかんないかなあ、と俺は再び心の中で呟く。
夕飯の残り物だろうが冷凍食品だろうが、好きな子の手作り弁当ってだけで、男にはプレミアものなんだって。
まあ、でも。
「おいしい?」
「はい、すごくおいしい」
「良かった。ちゃんのお弁当もウマイよ。この鰤の煮付けとか、家庭の味って感じで俺、好き」
「…ホントですか?」
「俺がちゃんに嘘言ったことあった?」
「……ありがとうございます」
彼女が頬を染めて俯く。
俺はこの子の、こういう打算のないところを、とても愛おしく感じる。


「「ごちそうさまでした」」
空になった弁当箱を包み直し、二人して手を合わせる。
本当においしかったです、と弁当箱を返す彼女に、こっちもマジで美味かったよ、と言うと、彼女は控えめに微笑した。
お世辞じゃないんだけどねえ。
「実はさ、それ、行きつけの定食屋で作って貰ったんだよね」
種明かしをすると、彼女は一瞬間を置いた後、ああ、通りで!と大仰に頷いた。
そこは流石に味とか詰め方で気づけよ、と思わなくもないけれど、彼女のこういう素直なところも俺は可愛いと思ってしまう。
「で」
「はい」
俺のこういった唐突な切り出しにもいい加減慣れてきたのか、彼女がごく普通に返事をする。
だから俺もいつも通りに、
「この弁当作ってくれたとこ、食べに行かない?」
時間があれば今日にでも、と続けると、
「わ、行きたいです!」
意外…というほどでもないけど、彼女の食いつきは思ったよりも良かった。
俺は内心でホッとする。
サラリーマンが主な客層の地味な定食屋なんて、女の子誘って行くとこじゃねーかなーなんて思ったりもしたけど、おばちゃんに頼んで弁当まで詰めて貰って良かった。
やっぱり、勝負するならホームに限る。
コレ、2回のデート(彼女はそう思ってないようだけども)から俺が学んだ教訓。



「生姜焼きとエビフライ、お待ちどうさま」
おばちゃんが、良い匂いをさせた定食のお盆を2つ、テーブルに置く。
「石ちゃんが女の子連れてくるなんて、珍しいねえ」
まるで悪気の含まれない声で言いながら、おばちゃんは茶を注ぐ。
ちゃんの目が、そうなんですか?と言うように俺を向いた。
「まー、ここに来るときは大抵一人だからなー」
「そうなの。ウチの常連さん」
おばちゃんと俺のやり取りに、彼女はへえ、と頷いた。
「じゃ、ごゆっくり」
「あっ、あの」
去ろうとするおばちゃんの背中に、ちゃんが声をかけた。
おばちゃんが振り返る。
「お弁当美味しかったです。このエビフライも、とっても美味しそう」
あらー、と俺は軽く頭を掻いた。
おばちゃんの目がこちらに向く。
「…はーん。なるほどねえ」
「ははっ」
笑って誤魔化…しきれる筈がない。
だがそこはそれ。おばちゃんは何もかもを理解した顔で何度も頷きつつも、ちゃんに向かってそりゃ良かったよ、と人のいい笑顔を向けた。
ちゃんが嬉しそうに笑う。
昼間の弁当でも思い出してんのかね、あの顔は。
「んじゃ、いただきます」
そんな彼女の屈託の無い笑顔を心底可愛いと思いつつ、早く食べないと冷めちゃうぞー、と俺は水を向ける。
ちゃんは、慌てていただきます。と箸を持った。

「石神さんて、おいしいところよく知ってますよね」
2尾あるエビフライのうち一尾を食べ終えたところで、ちゃんが切りだす。
「ん?そう?」
「今まで連れていって貰ったところもですけど、こんなお店があるなんて私、知りませんでしたし」
「あー、微妙に分かりづらいからな、ここ」
「隠れた名店?」
真剣な顔でそう言うちゃんに、立地が悪いんだよ、と俺は笑う。

昔から店主がETUのサポーターであるこの定食屋は、値段の割に味も量も大満足という、俺みたいな独り者や営業周りのサラリーマン御用達の店だ。
その割に大繁盛しているかといえばそうでもなく、飯時だと言うのに店内は適度に空いている。
かくいう俺も見つけたのはたまたまで、散歩しててふらりと立ち寄ったらアタリだった、というだけ。

「俺、趣味とか特にないからさ。オフの日とか、よく一人でふらっと目的もなく歩くんだよね」
「へえ」
「で、何か良い匂いがするなーって歩いて行くと、見つけたりするわけ」
ふっと、ちゃんが控えめに吹き出した。
「え、今何か笑いどころあった?」
「あ、いえその…犬みたいだなって」
クスクスと彼女は可愛らしく笑う。
でも、そんなモンじゃね?と返してみるが、そんな嗅覚、中々ないですよと返される。
これが丹さん辺りに言われたんだったら、膝カックンの一つでもお見舞いするところだけど、ちゃんの言い方には小馬鹿にしたような響きは全くなくて、むしろ、こんな好意の現れ方もあるんだろうかとすら思ってしまったりする。



「ごちそうさまでしたー」
流石に定食一食で奢ったツラするのもアレだというか、気づいたらちゃんは自分の分の会計を済ませていて、奢る間もなかったというか。
3回目ともなると学習したな、この子は全く。
おばちゃんと二言三言、世間話を交わしたあと、彼女は店を出て満足気に伸びをした。
猫みたいだな、と思うが口には出さない。
「野郎の多い店だからね。女の子が気に入るか分かんなかったんだけど、ちゃん昼間、弁当うまそうに食ってたから」
「とってもおいしかったです!ありがとうございました」
振り向いたちゃんは、本当に嬉しそうな顔で笑う。
「どういたしまして」
俺はこの子のこういう顔が見たくて、懲りずに何度もメシに誘ってるんだなー、と実感する。

「さて」
時計を見る動作をする。
目算通り、定食屋じゃ大した時間も食う筈はなく、時刻はまだゴールデンタイムを指している。
「まだ宵の口だなー」
「そうですね、食べ物、直ぐに出てきたから」
「ていうかちゃんて、結構食うの早いよね」
「えっそうですか?たまに言われるから、気をつけてはいるんですけど…美味しいもの食べてると、つい」
「いやいや、全然いいんだけどさ。よっぽど美味いんだなーって思いながらいつも見てる」
「そんな、見ないで下さいよ」
「いいじゃないの、好きで見てるんだから」
そう言って笑うと、彼女は恥ずかしそうに少し俯いた。

「んで、どうする?」
「え?」
「いやさ、ちゃんまだ時間あるようなら、もう一軒付き合わない?」
腕時計を指さしながら問う。
彼女は一瞬、考える素振りを見せた後、照れてるんだか困ってるんだか、柔らかく微笑んでハイ、と言った。