「シンタローさん」
背中から聞こえた声に、シンタローは洗濯物を抱えたまま振り返った。
長い髪をすっきりと束ねたが、どこか遠慮がちに彼を見上げている。
「おう、どうした?」
「ちょっと…島を散歩して来たいんですけど、いいですか?」
遠慮がちに聞かれ、何故許可を求められているのだろうと一瞬思う。
だが直ぐに彼女の言葉の意味を理解し、シンタローは笑顔で頷いた。
「ああ、後は俺一人で出来るから、構わないぜ。夕飯までには帰ってきな」
は安心したように頷くと、行ってきます。と一礼して森の方角へ去って行った。
その後姿を見送りながら、シンタローは思わず溜め息を吐き出した。
が島に来てから数日が経った。
その数日というもの、パプワやナマモノ達に囲まれている以外の時間、とにかく彼女は家事の手伝いを欠かす事がない。
仕事を始めると必ず傍にやってきて手伝ってくれるのは、確かにありがたいと言えばありがたい。
今までの状況を考えると、彼にとっては天使の所業と言っても過言ではない。
──…だが。
「…俺だけ敬語かよ……」
誰にも聞こえない程度の声で、ぽつりと呟く。
最初はパプワ、次にイトウとタンノ。そして、エグチやナカムラ、シミズ他ナマモノ多数。
パプワハウスによく訪ねてくる島の住民は、既に大方の者がと打ち解けている。
も記憶喪失というデリケートな境遇ながら、島の空気がそうさせたのか、馴染むのは予想以上に早かった。
今や顔合わせの済んだ者であれば、気の知れた友人よろしい態度で彼女も応じている。
………ただ一人、シンタローを除いて。
確かに彼女より(おそらくは)年輩ではあるのだが、彼女の態度は目上に対する礼儀の範囲を明らかに超えている気がする。
「─…嫌われてんのかナ、俺…」
深い溜め息は、南国の風が綺麗に攫って行った。
「……はぁ。─…駄目だよね、このままじゃ…」
鬱蒼と茂る森を歩きながら、はぽつりと呟いた。
(シンタローさんは、他と変わらない態度で接してくれるけど…)
気に入らない事がある訳ではない。彼を警戒している訳でもない。
むしろ、ただ一点を除けば、シンタローという男は接しやすい人物なのだろうと思う。
だが…
(…何なんだろう、この気持ち…)
彼を初めて見た時に感じたあの感覚が、はどうしても気になっていた。
胸が締め付けられる感覚。瞬間的に身体全体を駆け巡った何か。
一目惚れなどでは恐らく、ない。膨大な情報が、一気に流れ込んで来るような気がした。今も、思い出すだけで目眩がしそうだ。
彼を見る度にあの時の感覚を思い出してしまいそうで、まともに顔も見られない。
失われた自分の過去に何か関係しているのかとも思ったが、彼自身はと会った事はないと言っていたから、多分違うのだろう。
或いは彼が、の過去の断片を彷彿とさせる何かを持っているのかも知れない。しかし、それが何であるかまでは解らない。
そこから紐解けば、記憶を取り戻すきっかけとなる可能性はないとは言えないが…
「───…怖い…」
思わず、声に出していた。直ぐに、隠すように口元を手で覆う。
「…何、言ってるの……」
─早く思い出さなきゃ、迷惑かけるばかりなのに。
記憶を取り戻すのが怖いだなんて事、シンタローにも、ましてや一番に快く受け容れてくれたあの少年にも、言える訳がない。
(少しでも早く、思い出そう)
「…きっと、それがいいんだ」
言い聞かせるようにして自分を奮い立たせる。
よし、と景気づけると、は止めていた足を再び踏み出した。
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