「さて、と…どっちに向かって行こうかな」
「………ふ……」
「あっちは昨日行ったから…」
「…ふふ……ふふふふ……」
「……?」
最初は風の音かと思った。
だが、徐々にはっきりとヒトの声の形となって耳に届いたそれに、はようやく辺りを見回した。
─知らない声だ。
まだ対面を果たしていない島の住民だろうか。声の方向に注意深く視線を遣る

─…がさり。
茂みから、一人の男が姿を現した。
「…シンタローとあの餓鬼を見張っとったら、こらとんだ収穫でんなぁ」
萌黄色のマントに身を包んだ色白の男が、笑いを噛み殺すような目でを見つめている。
シンタローよりはやや小柄だが、それでもを優に見下ろすだけの長身ではある。
顔の右半分は長い前髪に覆われており、唯一露になっている左目だけが薄く笑った。

「え、あの…あなたは…?」
この島にまだヒトがいたのか、とは少しばかり驚いた。シンタローから、島の人間はパプワと彼の二人だけだと聞いていた。
シンタローの名を言っていたから、彼の知り合いなのだろう。
(シンタローさん、どうして隠していたんだろう?)
「あんさん、秘石と深ぉ関係がおますのんやろ?ホンマに、とんだめっけもんや」
の問いかけには答えず、男はの胸元を指差して見せた。正確には、彼女の首から提げられているあの石を。
「ひ、せき…?あなた、コレを知ってるんですか!?」
記憶を失って流れ着いた彼女の、唯一の持ち物。言い換えれば唯一の手がかりとも言えるそれを、訳知りな様子で指し示す。
思わず、は男に詰め寄った。
「くくっ、おとぼけが上手でんなぁ。しかし、わての目は誤魔化されまへんえ」
「や、とぼけてる訳じゃ…」
「あの餓鬼とこの秘石使たら、天下はわてのモンや」
「は…?」
「天下取って……──そしたら、友達ぎょうさん出来ますやろか…」
左目を鋭く細めてを見据えていた男は、やがて夢見がちな表情でぼんやりと呟き始めた。
最早の声など、聞こえてはいない。(或いは、初めから聞こえていなかったのかも知れないが)

(ど…どうしよう)
くくくと怪しげな笑いを漏らす男。失礼を承知で思うならば、変質者以外の何者にも見えない。
しかし先程、彼はシンタローの名前を確かに出した。彼を知っているのは間違いないらしい。だが、シンタローからは彼の存在について知らされていない。
もしかして、と嫌な推測がの頭を過ぎった。
(…もしかして、このヒトって所謂“ストーカー”!?)
ずさり。
思わず一歩後退する

「逃がしまへんえ」
「!?」

正に瞬きほどの間だった。
後退したと思ったは、再び男に距離を詰められていた。
「──あ…」
の口から、小さな呻きが漏れた。
にやり、と男が唇の端を上げた。恐ろしい、というよりは妖艶な笑み。
に劣らないほどに長い睫毛。熟れた林檎のように赤い唇。
顔だけならば、女と言っても通りそうだ。
思わず見とれるが、直ぐに我に返ってまた後退する。
「無駄どす」
一歩、また一歩と、に合わせて男も前進する。二人の距離は、一向に広がる気配がない。

「…!」
気づくと、崖を背にしていた。慌てて振り返るが、これ以上は下がり様がない。
「さぁ…そろそろ終いにしまひょか」
男の手が、の胸元に伸ばされる。
(……もう駄目…!)
観念して目を瞑った瞬間、の手に硬い感触が触れた。
(─これは…)
何かあった時のためにと、島に来た日にパプワから渡されていた笛だった。無くさぬよう、腰に提げていたのをすっかり失念していた。
(──えぇいっ!)
ままよ、と、は笛を口に含んだ。
が…

「………え…?」
「何の真似どすか?くく…」
呆気に取られたように笛を見つめる
力一杯に息を吹き込んだ筈が、空気が穴を通る乾いた音が微かに耳に届いただけだった。
「ど…どーして!?」
笛の音でパプワを呼べると思っていただけに、音が鳴らなかった事実に動揺を隠せない。
狼狽するに、再び男の腕が伸ばされた。
(今度こそ、ホントにもう駄目ー!)
ぎゅっと目を瞑れば、浮かんだのはあの少年の名前。
「さぁ…その石をこっちに…」
「─…パプワくんーッッ」



「──チャッピー。エサ」


─…がぶり。
「………うっぎゃあぁーー!」
聞き覚えのある音と、続いて聞こえた絶叫に恐る恐る目を開けると、見覚えのあるツンツン頭が目に入った。
「待たせたナ、。怪我はなかったか?」
「ぱっ…パプワくん…ッ」
思わず、怖かったよーとしがみつく。よしよし、と小さな手が頭の上に添えられた。
「あの笛の音は、チャッピーにしか聞こえない犬笛なんだ。驚かせてスマンナ」
「そうだったの…でも良かったよー。来てくれてありがとう、パプワくん!」
余程恐怖だったのか、ぎゅうとパプワを抱き締める
「この森は時々変なヤツが出るからナー。気をつけないと駄目だゾ」
「…そういえば…あのヒト、パプワくんの知り合い?」
「知り合いと言うか、アイツはアラシヤ…」
の問いにパプワが答えるか否かの間に、二人の上をゆらりと影が差す。

「ヒトを無視して、話をほんわかムードに纏めんといてくれまへんか〜…」
チャッピーを頭にぶら下げたままのアラシヤマが、額から大量の血を流しながら恨めしそうに立っていた。
「きゃぁっ」
「お前、血出たままだゾ」
「ふ、ふ、ふ…。この程度の出血でどうかなるような、ヤワな身体はしとりませんよってな」
「それは丈夫云々を通り越して、変態の域に達してないか?」
「ええい、だまらっしゃい!」
パプワのツッコミに、今度は鼻血まで垂らしながら詰め寄る。
そして一連の変態っぷりにヒきまくったに、アラシヤマは再び襲い掛かった。
「とにかく…その娘をこっちに渡しなはれ!小僧ぅ!」
「や、やだぁぁッ」



「眼魔砲」


の身体まであと1cm、というところで、爆風が光とともにアラシヤマを吹き飛ばした。
突然の出来事にが唖然としていると、後ろからだるそうな声が聞こえてきた。
「拉致ろうとしてるんじゃねえよ、変態が」
「シンタローさん!!」
首を左右に鳴らしながら、侮蔑の眼差しを黒焦げの物体に向けるシンタロー。
「ったく…まーだいたのかよ、アラシヤマ」
吐き捨てるように言うと、地べたにぺたんと尻餅をついたままのに歩み寄った。
「無事だったか?」
ほれ、と右手を差し出す。も見上げたまま、恐る恐る細い手を差し伸べた。
シンタローはその手を取り、彼女を起こそうとするが上手く持ち上がらない。
もう一度を見ると、困ったような笑みを顔に貼り付けている。
「………お前、もしかして…」
「あ…あはは」

「──…腰が抜けちゃった、みたい」









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