寄せては返す、波の音。
一つ、二つと数えるように、カミセの足跡が砂浜を踏みしめて行く。
─ここが、お主の故郷じゃよ─
ヨッパライダーの言葉が、じんと耳に残っている。
「ここが…」
──この島が。
カミセは立ち止まり、波間の向こうを見つめた。
…まだ、実感はない。
けれど確かに胸に響く、あたたかいもの。
(ここが、私の…──)
──ざくり、ざくり。
自分以外の足音に気付き、カミセは音の方を振り向いた。
どこか気だるげな、けれどしっかりとした音は、カミセの良く知るそれだ。
「よォ。不良娘」
目が合うと、シンタローはからかうように呼び掛けた。
半目気味に見下ろす視線は、カミセが初めて見るものだ。
「ふ、不良じゃないよ」
少し戸惑いながら、もごもごとカミセは抗議した。
「こんな時間まで出歩いてんのは、立派な不良だ」
「ちゃんと言ったじゃない」
シャープに伝言を頼んだ筈だ。カミセは言外にそう告げる。
何よりも、シンタロー自身がここに来ているという事実が、それを裏付けている。
シンタローは小さく溜め息を吐くと、そっと腕を差し出した。
『?』を出すカミセの顔に、掌を近づけて行く。
徐々に距離が縮まるシンタローの左手を、カミセの瞳がじっと追う。
「馬ー鹿。自分で言えっての」
白い額を、シンタローの中指が軽く弾く。
ピシリ、という良い音が浜辺に響いた。
「痛ッ」
思わず目を閉じ、短い声を上げる。
「…もォー」
額をさすりながら、口を尖らせるカミセ。
抗議の眼差しが、シンタローに向けられる。
「──ホレ」
「え?」
今しがた、彼女の額を弾いたその手が、再び彼女の目の前に差し出される。
額を押さえたまま、カミセはシンタローを見上げた。
先程の、小馬鹿にしたような表情は、もう消えている。
意図が読めず、彼の手と顔を交互に見るカミセ。
「転ぶだろ、お前」
説明のつもりだろうか、シンタローはさも当然の如く言い放った。
─確かに、たまに躓いたりはするけど…
心外、と言った目で、カミセが口を尖らせる。
「転ばないもん」
「いーや、転ぶね」
断定と同時に、大きな掌がカミセの右手を包み込んだ。
「シン…」
離して、と言おうとした時には、既に手を引かれていた。
強引でない程度の牽引力に従い、カミセの足が動き始める。
触れた掌から、伝わる温もり。
カミセの鼓動が、一つ鳴った。
─心臓の、音がする。
初めて会った時の、あの感覚を思い出す。
けれど、あの時とはまた違う。
胸が熱く、緩やかに締め付けられるような圧迫感。
(─手を握られたの、初めて…)
ふと、掌を重ね合わせるその行為が、彼と出会ってから初めてである事に気付く。
その感情に付ける名を、カミセはまだ知らなかった。
ぴたり、とシンタローが歩みを止めた。
「──…もう、すぐに桜も散っちまうな」
見上げた視線の先を追えば、砂浜に満開の桜の樹だった。
「南国だもんなぁ…春が過ぎるのも早い、か」
誰ともなく呟き、シンタローはカミセを見下ろした。
じっと見つめる黒い瞳に、優しく笑いかける。
「俺が居たトコは、もうちっと遅かったんだよナ。桜が咲くのも、散るのも」
「へぇ…」
その言葉に呼応して、カミセも桜を見上げる。
星空を隠して、桃色の花弁が視界を覆った。
カミセにとっては、この島の四季が全てだ。
夜空一杯の桜を見つめ、シンタローの故郷に思いを馳せてみる。
見た事のないものを想像するのは容易でなく、おぼろげな色の集合が瞼の裏を通り過ぎる。
ただ、その景色の中に在りし日のシンタローだけが、鮮明なイメージで佇んでいる。
想像の中のシンタローも、同じようにカミセに笑いかけていた。
「──よし」
現実のシンタローの声に、カミセは夢から引き戻された。
再び目が合ったシンタローが、にっかりと満面の笑みを見せる。
「明日はちょっと早起きすんぞ、カミセ」
ぽん、と右手をカミセの頭の上に置く。カミセが不思議そうに、彼を見上げた。
「ピクニックにでも行こうぜ。弁当持って」
握られた手は、先程以上にしっかりと。
掌から鼓動が伝わりやしないかという心配は、その一言でどこかへ忘れてしまった。
未だ高鳴る鼓動は、もう当たり前のようにさえ感じる。
カミセも、そっとシンタローの手を握り返した。
「──…うん!」
答えた彼女の笑顔は、桜の色が移ったかのようだった。
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