「……ん」
気がつくと、はふんわりとした何かに身体を包まれていた。
一瞬の後、それが布団の感触であると理解する。
瞼を開ければ、自分を見つめる4つの瞳。
黒髪の少年と、茶毛の犬。
確かさっき砂浜で、松明を持っていたのはこの一人と一匹だ。ぼんやりとは思い出した。
「おお、目覚めたか」
「わぅん」
嬉しそうな声を上げると、パプワは両手に扇子を広げた。
横でチャッピーが、これでもかとばかりに尻尾を振る。
だがはそれよりも、彼の黒髪に目線が行って仕方が無い。
夢の中で、黒髪を見て目が覚めた気がするのだ。
─あれは、誰だったのだろう?
「こらこら、病人を驚かすんじゃありません。怯えてるだろう」
もう一つの声がして、はゆっくりと首を動かした。
額の汗を拭いながら、シンタローが中へと入ってくるところだった。
─あの黒髪は、確かこの人のものだ。
近づいてくる男を眺めながら、は考えた。
根拠はないが、何故かはっきりとそう思う。
「どっか痛いトコとか、ないか?」
「………はい…」
気遣う声に、どこかぼんやりとしたまま答える。
─あぁ、そうか。確かさっき、この人を見た瞬間に目眩がしたんだ。
そして今自分は、布団に寝かせられている。
ようやく状況を把握し、は身体を起こそうと布団に手をかけた。
「……!?」
声にならない叫びを上げる。
シンタローは、『あ』の形に口を開くと、バツの悪そうに顔を背けた。
砂浜にいた時は確かに身につけていた筈の服が、の身体から消えている。
道理で、何か落ち着かない感覚がするはずだ。布団をすっぽりと被りながら、は妙に納得した。
「悪い。あのままだと、風邪ひいちまうと思って…あ、目は伏せてしたから」
シンタローは顔を背けたまま、弁明じみた状況説明を試みた。
嘘は言っていないのに、どこかしらやましい気持ちは拭えない。
ちらりと見遣ると、同じく顔を紅くしてこちらを見上げる少女の瞳。
どう反応していいものか、計りかねているのだろう。
─参ったな。
思わず頬を掻くシンタロー。気まずい沈黙が場を支配する。
「──あ…いえ。ええと…っしゅん!」
謝るのが先か礼を述べるのが先か。
言葉を捜している矢先、小さなくしゃみがの口から漏れる。
気まずい空気を逃れられるとばかりに、口を挟むシンタロー。
「あ、そのままじゃ寒いだろ?風呂沸かしたからさ、入ってあったまって来たら」
「あ…ありがとうございます」
今度こそ礼を述べる。
意識的か無意識かは知らないが、謝罪という選択肢を消してくれた彼の言葉は、今の彼女にとっては正直有り難かった。
─優しい人だ。
彼の何を知っている訳ではないが、本能がそう判断した。
渡されたタオルを受け取ると同時に、は彼に対する警戒心を捨てた。
「湯加減、どうだ?」
「丁度いいですー」
背中を向けたままのシンタローの問いに、は湯に浸かったままのんびりと答えた。
実際、風呂は絶妙なまでの心地良さで、どうしたらここまで完璧に沸かすことが出来るのだろう、と思うほどだ。
その影に、彼の血と涙の努力が隠されている事など、彼女には知る由もない。
(あー、気持ちいい)
悦に浸る。
その視界に、突如一本の生足が現れた。
「!!?!?」
「はぁ〜い、シンタローさん」
「今日もいいオ・ト・コねぇ〜」
姿を現したのは桃色の大カタツムリと足の生えた鯛。
驚くに構わず、二匹は薪をくべかけたシンタローに絡みついた。
「出たナ、ナマモノ…」
「…え、あの、シンタローさん、こちらは…?」
三者を見比べつつ問う。そこで初めて、二匹が彼女の存在に気づいた。
「まあぁぁ、シンタローさんッッ!誰なのよォ、このコ!?」
「ワタシ以外のオンナをお風呂に入れるなんて、シンタローさんの浮気者ッ」
泣き叫ぶカタツムリと鯛。
シンタローの眉がぴくりと動く。次の瞬間には、二匹は完膚なきまでにノされていた。
「取り乱すな、雌雄同体…ッ」
「あぁ…貴方の愛が痛い…」
(─ええと、察するに…)
は風呂から半身を乗り出し、一連の光景を理解しようと試みた。
そして、弾き出された答えは…
「…あのう。お二人は、シンタローさんの恋人、なんですか?」
──ぶっ。
シンタローが盛大に噴出した。
「まぁァ〜、恋人だなんて。ワタシはシンタローさんに恋する、一途なオ・ト・メ」
「ごめんなさいねェ〜。ワタシったら、ちょっとジェラシー感じちゃったのヨ。だって…」
ぬらぬらと上機嫌なカタツムリの横で、鯛が済まなさそうにの傍に寄る。
「…だってシンタローさんたら、見知らぬ、しかもこんな可愛いコをお風呂に入れてるんですもの。ワタシ、居ても立ってもいられなくって…」
「いーから失せろヨ、変鯛」
「アナタ、名前は?」
シンタローの辛らつな突っ込みをさらりと流し、鯛が小首を傾げてみせる。
シンタローさんてモテるんだなぁ、などと思いながらは鯛に向き直った。
「あ、って言います」
「そう、ちゃん。ワタシはタンノ」
「ワタシはイトウ」
「「よろしくねェ〜」」
一瞬にして、風呂場を妙に和やかな雰囲気が包み込む。
シンタローは、盛大に溜め息を吐いた。
を見ると、さも当然の光景のように二匹のナマモノを受け容れている。というか、既に仲良くなっている。
─この女、只者じゃねェ。
追加の薪をくべながら、シンタローはもう一度溜め息を吐いた。
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