「──さん」
「何だ」
を横抱きに抱えた格好で、垂直に崖を駆けるが応える。
は、一瞬躊躇い…そして、聞いた。
「どうして…手助けしてくれるんですか?」
結局、シンタローとパプワたちの後をつける形で、とはイッポンタケに向かっていた。
先に手を貸すと言ったのがで、行きたいと願いを口にしたのがだ。
「──君は」
は数秒の沈黙の後、口を開いた。
「君は、会いたい相手がいるのか」
は、首を横に振った。
「──いいえ」
顔を上げて、を見る。
その笑顔は、少し寂しそうにも見えた。
「今の私にとっては、ここでの暮らしが全てですから」
に、パプワ島に漂着する以前の記憶はない。
だから、特段イッポンタケに願う相手がいないのはさもありなんだった。
では何故、とは問うた。
「─パプワくんに聞いたんです。イッポンタケは、ずっと昔からこの島に居るって」
その一言で、は彼女の思惑を察した。
長命なイッポンタケであれば、彼女の過去について知っている可能性は高い。
ならば、聞かせて貰える話もあろう。
彼女が、己の失った過去について少なからず悩んでいることは、も気づいていた。
は歩を止めぬまま、空を仰いだ。
「俺には、そういったものがない」
がを見上げる。
「シンタローやパプワのように会いたい人も、─君のように、欲するものも」
何かに、或いは誰かに、願いを掛けてまで欲するものは、今の自分にはない。
「─だから」
は、目線をと合わせた。
ほんの少しだけ─その顔が、微笑んでいるように、には見えた。
「せめて、見届けたいと思ったのだろう」
頂上に着くと、そこは丁度少年と男が対峙しているところだった。
「シンタローさん…パプワくん」
尋常ならざる空気に、の腕から降りたが硬い声を出す。
は彼女を庇うようにその前に立った。
「出て行くのは危険だ」
でも、とは言いかけ、もう一度彼らを見やった。
の言う通り、割って入れる空気ではない。
は観念して、小さく頷くと一歩引いた。
決着は、直ぐについた。
パプワのパンチであっさりと崖の下まで飛ばされたシンタローの叫び声が、ドップラー効果で響く。
「ふむ」
興味深げにが呟く。
シンタローの眼魔砲は、一族にしか使えないものと聞く。
己の上司の威力とは比べるべくもないが、パプワ相手にシンタローが手心を加えた可能性もある。
何れにせよ、あの青年と少年には、にも計り知れない可能性が眠っていることは確かなのだろう。
やがて。
「も来てたのか」
目の前までやってきたパプワが、とを見上げて言った。
「うん─イッポンタケに会ってみたくて」
が腰を屈めると、パプワは後方を指差した。
「願いはもう僕が聞いてもらったけど、話だけなら出来るゾ」
「わうん」
チャッピーが肯定の意を示すように尻尾を振る。
ありがとう、とは微笑した。
“─お客さんですか”
天まで伸びる大きな竹の根元に近づくと、柔らかな声が響いた。
「─こんにちは」
何と言ったものか、とりあえず挨拶をすると、イッポンタケは優しく答えた。
“こんにちは。──あら、貴女は……”
「───」
ヨッパライダーのときと同じ反応。
は、今度は臆することなく、次の言葉を待った。
“お久しぶりですね”
予想通りの反応。
の心臓が、早鐘を打ち始める。
「私のことを…知ってらっしゃるのですか」
“ええ。よく知っていますよ”
イッポンタケは、柔らかく答えた。
“わたしはここから、この島をずっと見ていましたから”
「では…私の、─記憶を失くす前の私のことも…」
“勿論ですよ”
「っでは……!」
が一歩踏み出す。
“───”
イッポンタケが、しばし沈黙する。
は、次の言葉をじっと待った。
やがて。
“わたしは貴女のことを知っています。貴女の知らない貴女のことも”
ゆっくりと。言い聞かせるように、イッポンタケは、話し始めた。
“──ですが”
否定の文節。
が首を傾げる。
“それは本当に、今の貴女が望むものですか?”
「───!」
の鼓動が、大きく鳴った。
──…
ノイズ雑じりの映像が、の脳裏を過ぎって消えた。
俯瞰で眺めたような、島の景色。
笑い合う島の生き物。
果てなく広がる蒼。
一組の男女。
泣き続ける赤子。
寄り添う犬。
黒髪の男。
扉。
赤い石。
洞窟。
沈む、島。
「───っ…」
突然。割れるような頭痛に見舞われ、は膝を折った。
が静かに駆け寄る。
「どうした」
は頭を抱えたまま、地面に膝をついていた。
「………あ…」
小さく呻く。
“──”
イッポンタケが、その名を呼んだ。
がゆっくりと、顔を上げる。
“──大丈夫。”
あの柔らかな声で。
イッポンタケは、一言だけそう言った。
やがて。
膝をついていたがゆっくりと立ち上がり、イッポンタケに向き直った。
瞳は未だ不安に揺れているが、視線はしっかりとイッポンタケを見据えている。
イッポンタケが、優しく言い聞かせるように、笹を揺らした。
“貴女に、本当に聞く準備が出来たら─またいつでも、いらっしゃい”
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