1.記憶の固執
夢を見た。
流れるような金髪の女性。硝子細工もかくやと思われる、華奢な身体の線。
ギィは、その女性を確かに知っていた。だがどうしても、思い出す事が出来なかった。
(…あれは、いつの事か…)
思考の糸が上手く繋がらない。苛立ちを、ギィは口元で噛み殺した。
程無く、彼女が振り向いた。
目元に深く刻み込まれた、癒える事の無い悲しみの影。
瞬きと共に涙が、そして唇から囁きが零れ落ちた。
「─あの人を…助けて下さい」
冷たい汗に塗れて目覚めた。
広くも無い室内には、安酒の匂いが僅かに残っている。軽い吐き気を堪えつつ半身を起こすと、火を点けないまま煙草を咥えた。
夢の記憶が、不自然な鮮やかさで蘇る。
(…また、あの夢…か)
一度や二度ではなかった。
同じ貌。同じ言葉。思い出せぬ名前。覚醒に伴う二日酔じみた不快感。
以前は半年に一度、視るか否かの頻度に過ぎなかった。現在では、一週間に一度ならず視える。
(やはり、予兆か。では、あの女は…?)
欠けた記憶を見透かすように目を細めた。
(俺は…何を忘れている…?)
10年前、エスマルク公国。
エステルランド王国の保護下に在り、相応の平穏と繁栄を享受していたこの小国を、突如闇が覆い尽くした。
それは誇り高き男の残骸。公妃との許されざる愛を紡いでいた、親衛騎士のなれの果てだった。公爵以下、抗う者の大半は闇の力の前に敗れ去った。
だが、その犠牲は無駄ではなかった。
公国最強を謳われる若き親衛騎士、ミゼロ・アーベント。公国史上最年少の司教、ギィ・フレイズマル。
凶報を受けて急遽帰還した二人は、微塵の躊躇も無く反攻を開始した。時と共に、闇は濃度を増す。速戦即決が、唯一にして最良の選択だった。
闘争は苛烈を極めた。圧倒的な力に何度も薙ぎ払われ、打ち倒された。幾度死を覚悟したか、数える気にもなれなかった。それでも、最後に立っていたのはギィ達だった。
しかし、悲劇は更なる一幕を用意していた。
罪の意識に苛まれながらも、禁じられた想いを交わし続けた男の破滅は、元々強からぬ公妃の魂を絶望に塗り潰した。
彼女は自らの手で、城に火を放ったのだ。
ここまで生き延びた僅かな生存者も、大半が炎の中で灰燼と化した。
業火は既に、城郭の大半を覆い尽くしていた。
「…これは、どうにもならんな。退くぞ」
ギィは一切の感傷を断ち切るように、冷徹な口調で促した。
ミゼロは動かない。
「どうした?急がねば…」
「──俺は、戻る」
ミゼロは背を向けたまま答えた。
「…助かるかどうかの判断もつかぬほど腑抜けたか」
馬鹿な、と言わんばかりに、ギィは辛辣な台詞を投げつけた。
しかし、振り向いたミゼロの眼に動揺は無かった。不屈の意志だけがそこに在った。
「姫が、まだ城内にいる。俺の護るべきものは、この中に在る」
言い終えると同時に身を翻すと、ミゼロは業火の中へ猛然と飛び込んでいった。
「…愚か者が!」
吐き捨てながらも後を追ったギィの頭上に、崩落した瓦礫が降り注ぎ、埋め尽くした。
目覚めた時、何故生きているのかが判らなかった。
半身を埋め尽くした瓦礫の山。全身を貫く熱と痛み。鼻腔を突き刺す焦げた匂い。
苦痛と吐き気に耐えながら、ギィは動かぬ身体を引き摺るようにして這い出した。
城郭はほぼ完全に焼け落ち、崩れ去っていた。
黄金の髪の美姫も、共に死線を潜り抜けた友も、そこには居なかった。
「…愚か者が」
吐き出した呟きは、限りなく苦かった。
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